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文化・芸術

2016年10月19日 (水)

『コスプレ』を愉しむ:

『コスプレ』を愉しむ:

と言っても、流石に、この歳になって、ライフ・スタイルを突然、変えてまでも、ゲームのキャラクターになりきって、自らが、手作り衣装を着用して、コスチューム・プレーを愉しむのではない。たまたま、小諸の青雲館 に宿泊していた若い女性の四人組のお客さんが、所謂、『コスプレ』を150年の旧い書院の間で、撮影をするのを、観る機会を得ただけの話である。それにしても、メディアなどで、海外でも、お宅と称するアニメ・コスプレのことは、知識としては、知っていても、その人達と直接接して、会話をすることは、ほとんどなかったのが、実態であろう。それにしても、身勝手な憶測とか、偏見とか云うものは、無意味で、実際に、間近に接して、話を伺ってみると、なかなか、興味深いものである。彼らの情報発信は、今や、ツイッターが主体らしく、逆に、コスプレの愛好者達が、ツイッターを支えているそうである。『刀剣乱舞』というゲーム・チャラクターであるそうで、そもそも、こちらは、ゲーム自体をやったこともなければ、題材を云われても、知るよしもない。早速、パソコンで、検索して、予備調査と知識を得ることにした。話によると、小諸市では、懐古園での屋外撮影を許可しているそうで、当日も、3時間を掛けて、懐古園で、撮影したそうである。何でも、撮影場所によっては、施設の事前許可とかが必要だそうで、その手続きも、結構、大変な予備作業が必要だそうである。又、刀とか、槍とか、衣装・小道具、撮影のための反射板とか、結構、大掛かりな荷物を、移動・搬送しなければならないそうである。それにしても、想像以上に、この撮影というものは、面白いモノである。コスチューム、小道具、撮影の背景場所の選定、屋内・屋外、陽の差し方、光源の設定、歴史の勉強とか、只、単に、『オタク』というカタカナ言葉で、片付けられない『何ものか』がありそうである。これは、一体、何なのであろうか?その瞬間、瞬間のキャラクターによる、決め台詞ではないが、きめポーズをすることにより、その人物になりきるのであろうか?芝居では、非日常性の役柄に、なりきるのであるが、これは、『言葉と行動』によるもので、これが、演技というものに、昇華されるというのであれば、コスプレとは、ある種の衣装・小道具による、非日常性への空間移動とでも云うべきものなのであろうか?言葉を発することもなく、静かに、その情景の中に、まるで、タイムスリップでもするかの如きものなのであろうか?その時、人間は、その演者は、どんな気持ちになるのであろうか?なりすましなのか?バーチャルな非現実的な非日常の時間と空間に、身を置くのであろうか?その時の気持ちとは?もはや、こうなると、観る側から、コスプレを演じる側へと、立場を移さないと、判らないのであろうか?撮影された何枚かの写真を眺めていると、写真撮影というものも、同時に、考えさせられてしまう。これは、一瞬の瞬間的な『記憶』なのか、それとも、非日常的な一寸シュールな『心の軌跡』なのか、そう考えると、旅をすることで、そういう場所探し機会と場所を提供するサービスがあっても宜しいのではないかとも、思われる。次は、四季折々、その時に応じて、屋外でも撮影出来る場所を、紹介してあげたいとも、自然と感じてしまう。早速、ツイッターに、投稿してみた。青雲館 、ツイッター@SeiunkanKomoro にて、写真はご覧下さい。

 

 

2016年10月17日 (月)

高橋まゆみ人形館にゆく;

高橋まゆみ人形館にゆく;

飯山は、これまで、いつも、素通りしていたが、たまたま、戸狩温泉スキー場の民宿に行く途中で、初めて、高橋まゆみ人形博物館に、立ち寄ってみることにした。勝手に、年寄りの人形ばかりだから、その作者も又、年寄りだろうとくらいに、タカをくくっていたら、存外、作者は、若い作者であったこととに、少々、自分の不明を恥じ入ると共に、拍子抜けしてしまった。それにしても、紙粘土で、様々な情感を、とりわけ、老夫婦の関係性や、老母と娘の関係性、或いは、お爺さんと男子の孫や、チンドン屋や、寅さんや、お瞽女の集団や、兎に角、今や、化石と化してしまっているような『関係性と情景』が、小さな粘土細工の人形の中に、見事に、表されている。その表情の、或いは、その仕草だけでなくて、その皺の一筋一筋までもが、見事なまでに、表現されていることに、驚かされる。これは、もう、言葉自体が、必要では無い、只単に、国を超えて、民族を超えて、この芸術的な作品を観るだけの価値は、おおいにありそうである。魚釣りを一緒に、愉しむ情景、看護で、たまたまうたた寝をしてしまった娘を気遣う老婆の手のぬくもり、もう恐らく、80歳をゆうに超えてしまった老夫婦の愛情溢れる情景と仕草など、よくも、こんな情景を、その瞬間、瞬間を、見事に、切り取って、作品に、凝縮・昇華させてしまう技術力は、全く、驚くべきものがある。情景とか、仕草とかというものは、成る程、その一瞬を切り取ってみると、写真撮影とも繋がるような共通点があるのかも知れない。なんだか、既に亡くなってしまった両親や祖父母のことを、遠い昔の記憶の片隅を、想い起こすようで、なかなか、興味深い作品の数々である。又、新幹線から、外れてしまった寺町の佇まいも、今回は、ゆっくり観ることが叶わなかったが、こちらも、面白そうである。真っ赤な郵便ポストが、時間を超えるかの如く、銀座の柳の二世の下で、佇立していた。映画、『阿弥陀堂便り』のロケ地巡りと併せて、飯山という所も、小布施とは又、一味違った趣があるように思われる。次は、いつも、やはり、素通りしている須坂の藏街をゆっくりと、散歩でもしてみたいところである。

 

 

2016年10月 9日 (日)

『天空の芸術祭2016』を観る:

『天空の芸術祭2016』を観る:

御牧ヶ原の台地は、何とも謂えないような北海道のような景観に似ていて、天気の良い日に、散歩などをしていると、その空の青さと流れゆく白い雲との調和が、大地の土の色とハーモニーを奏でて、とても気持ちがよいモノである。何せ、45年以上もの長い間、ビジネスの世界に埋没していたせいだろうか、すっかり、右脳は、化石化、機能不全寸前で、アートや音楽や、伝統芸能の観賞などでも、残念乍ら、なかなか、右脳再生が果たされないのが、実情である。北側フロムさんや、田島征三さん等による十日町の大地の芸術祭や、トリアンナーレなどで、或いは、瀬戸内芸術祭などを通じて、少しづつでも、芸術を通じた地域の活性化が、住民との交流を介して、前進して行ければ、それはそれで、結構な話である。東御市の、旧北御牧が原台地と八重原台地に跨がる、自然豊かな地域で、『天空の芸術祭2016』というアートフェスティバルが開催されているということを知ったので、出掛けてみることにした。芸大のアーティスト達が、作品を屋外や、溜め池にも、地下室にも、室内にも、展示されていて、とても、興味深いものである。アート作品の鑑賞というものは、なかなか、制作者の芸術的な思いを理解するのが、難しいものの、それ自体を、あれこれ、こちら側が、勝手に想像しながら、鑑賞する事でも、何か、こちら側にも、小さな何らかの心的な変化が生じるであろうことは、どうやら、間違いないであろう。地元の住民も、訳の分からぬオブジェが、眼の前に、忽然と姿を現すことだけでも、何か、インパクトがあっても宜しいし、又、それが、風景を、ソーラー・パネルで自然景観を破壊したり、一変させるような代物でない限り、芸術作品の野外展示というものも、何か、効果があることであろう。そう考えると、何はともあれ、作品の制作に関わりながら、お手伝いすることも良いだろうし、それらの展示を見て回ることも宜しいし、兎に角、自分の出来る範囲で、お手伝いし、積極的に、或いは、消極的にでも、裏方でも、参加・関わることが、大切であるのかも知れない。その意味で、この第一回の開催は、これから先の10年、20年先、どのように発展するかは、判らぬが、大変貴重な第一歩であることは、間違いないであろう。官による訳の分からぬ補助金目当てや、爆買いの伝統や文化・歴史などのコンセプトも理解しないようなインバウンドを頼みとしないような地道な地域住民とのコラボによるこうした運動の点から、点へ、そして、線へ、更には、面へと、地域同士が結びついて行くような将来への展望を希望したいし、何らかの形で、無償奉仕と言う形で、関わって行きたいものである。作品を観ながら、そんなことを感じました。

 

https://www.facebook.com/museum.in.the.sky2016/

 

 

2016年9月13日 (火)

PB商品の販売開始:

PB商品の販売開始:

地元の書家とのコラボで、まずは、新しいロゴを制作してから、いよいよ、日本酒と、新米の商品企画に入っていたが、何とか、形が出来上がってきた。まずは、日本酒の小瓶の300ml720mlとである。ネット販売だと、免許の問題があるので、取り敢えず、宿泊客への提供とお土産品としての販売企画とする。メルマガにも販促するし、FBページやHP上での告知も含めると、ネット広告も期間限定で、行っても良いかも知れない。なかなか、よい感じにモックアップ・サンプルは、仕上がってきた。売り方次第では、酒好きのみならず、宿泊客の中ではファンが愉しめる品質のものであろう。地元の醸造・藏元で、結構勇舞ブランドの吟醸酒である。瓶の色も、ブルーで、高級感も有り、ラベルも鷲などに変更したら、更に、イメージが良くなるかも知れない。とにかく、出来るところから、手をつけて少しでも進めて行くことが肝心であろう。それ程の在庫負担もないから、いざとなれば、自分で飲んでもよいし、土産にあげても宜しいし、プラス要素として、考えればよいのではないだろうか?次は、収穫祭後の新米の販売である。3キロ・5キロ程度の小袋で対応すればよいか?兎に角、直売の流通を地道に、ファンを増やして行けば、こちらも、少しずつ、プラス要素を増やして行けば、やがて、それぞれが、大きな力になって行けば、ステップ¥バイ・ステップでゆっくりと着実に拡大させて行けばよい。何も、急ぐ必要もない。要するに、ゼロから、少しでも増えて行けば宜しい、そう考えると、気も楽になろう。人手とマンパワーが限られているのだから、他人の有する機能を活用する以外に知恵のだし用はない。知恵を絞るのは、何せ、タダだから、、、、、、。まずは、お酒、そして、新米、更に、りんご、最後に、リンゴジュースという具合に、進めてゆければ、よいかな。

 

2016年6月18日 (土)

農民資料館を作ってみよう:

農民資料館を作ってみよう:

玄関の前に、大きな凹を逆さにしたような門がある。その両側には、昔、漬け物用に使用された六畳ほどの部屋が一階にある。今では、物置小屋のように、様々なモノが詰まっている。たまたま、お父さんが、少し前に、農作業で使用されていた大きな鋤を、見つけてきて、見せてくれた。何でも、昔は、こんなモノで、人力や馬を使って、畑や田んぼを耕していたらしい、成る程、畑や田んぼになる以前には、元々、こんな山間部は、里山と、今日云われているものの、車も耕耘機やトラクターの無い時代には、人力で、唐松の林を、開墾して、今日、棚田などと云われているが、背に腹は替えられぬとばかりに、猫の額ほどの土地を必死になって、開墾して、新しい畑や田んぼにしたのであろうことは、容易に、想像がつく。そういう歴史とか、文化とか、暮らしに関する道具類は、今どうなってしまっているのであろうか?食育などと云う言葉も、農作業の体験なども、医食同源・食文化ばかりではなくて、暮らしの歴史や開拓の歴史なども、道具を通じて、理解して貰うことも、とりわけ、若い人や、子供達にも、おおいに必要なことかも知れない。例えば、この間、お父さんが、土蔵の中から、大きなノコギリを二つ持ってきたが、一つは、樹を切ることは、すぐに、判ったけれども、もう一つの歯の欠けたようなノコギリは、何でも、天然氷を切り出すモノであることを教えられた。そう言えば、子供の頃は、氷屋さんが、毎日、大きな氷を自宅で、切って、冷蔵庫に、運んでくれたモノであることを想いだした。そんな想い出も、60代以上の世代でないと、今日、もはや、実感されないのかも知れない。何も、郷土博物館の様な箱物の中で、展示されるのではなくて、身近な生活の中で、宿泊客に、無料で、見て貰えるような展示も、必要では無いかと感じ始める。地域の人達にも、応援して貰って、色々な古道具を集めて、保存展示してみたらどうだろうかと思い始めた。外国人観光客にも、英文で説明しみたら、どうだろうか?しかも、みるだけでなくて、実際、使用・体験してもらったら、先人の苦労を実感して、古い井戸を掘ってもらった人への敬愛の念も沸いてくるかも知れない。景観も、耕作放棄地も、長い期間に培われた歴史や努力も、一瞬にして、無に帰する可能性は否定しきれない。

2016年6月17日 (金)

竹細工の商品開発:

竹細工の商品開発:

実証実験をしてみたところ、実に様々なことが判ってきた。竹藪対策として、筍と蕗の収穫と竹細工の製作、とりわけ、原材料がタダ同然だから、手間賃だけで、それも、年寄りが製作するから、ほぼ、コストが掛からないか?さすれば、100円ショップ感覚で、使い捨ての方が、長持ちなんかしてくれない方が、有難いかな?そう考えれば、値段も安くして、使って貰うことに力点を置こうか?使い捨て感覚?そうしたマーケティングの観点から、商品開発をしてみよう。例えば、イタリアンやフレンチの高級料理に、和の食器として、前菜やオードブル、パスタの小皿としてとか、イメージが、様々に、拡がってきた。少し、勉強してみるとするかな!具体的に、試作作りに入り、写真撮りをして、高級レストランのシェフに、使い捨て感覚で、使って貰うことも一つの手ではなかろうか?或いは、個人レストランでの差別化とか、、、、竹藪対策として、或いは、耕作放棄地対策への協賛とでも、銘打って、野菜と共に、付録か、おまけとして、つけても宜しいではないか?ひょっとして、喜ばれるかも知れない。あるいは、ネット販売の景品でも構わない。兎に角、資源は無限で、使ってくれなければ駄目で、長持ちは、敵であると謂う珍しい商品かも知れない。まさに、『逆転の発想』である。又、やらなければならないことが、ひとつ、増えてしまった。最近、ゆっくり、ブログを書いている時間がなくなってきた。

 

2016年5月26日 (木)

熊本震災義援金の協力:

熊本震災義援金の協力:

阪神・淡路大震災の時には、義理の妹の神戸の実家が、崩壊して、当時90歳以上であったお爺さん夫婦が、生き埋めになって、何とか救助されたが、そんな長生きをして、怖い目に遭うなんて堪らないと、当時思った記憶がある。会社の同僚の実家やら、結局、義援金やら、様々な支援物資を送ったことを想い起こす。3.11の東日本大震災の時も、徒歩で、4時間以上かけて、携帯電話のテレビの画像を見ながら、自宅まで、帰宅したことをこちらも、想い出さずにはいられない。又、当時は、その前に、NZのクライストチャーチでの地震もあったりと、NZの取引先からは、支援の募金要請があって、こちらも又、義援金を海外送金したことを想い出す。こうして考えてみると、相互互助の精神ではないが、お互いさまで、持ちつ持たれつ、災害の時には、何らかの手を差し伸べるのが、災害や地震の多い日本では、やはり、当たり前なことなのであろう。そうしてみれば、父や祖母も、関東大震災の被災者であったことも、我が家の歴史の中では、記憶遺産に該当するかも知れない。今回は、義援金という形とは、異なり、版画作品を購入するという形で、その代金を全額、義援金として、寄附して貰うことにした。田植えも観ているだけの田植え参加で、せいぜいが、ロジスティックくらいしか、お手伝い出来ない以上、年寄りに出来ることと云えば、せいぜい、お金を寄附することくらいか、使って上げることくらいしか、出来ないのが、関の山であろう。まぁ、それでも、精神的な支援よりも多少は、役に立つかも知れない。何に、どう使われようが、税金の使途を監視する市民オンブズマンではないから、それは、宜しいであろう。購入した作品に、代わりに、作品の中に描かれたなまず様には、地震被害に合わないように、せいぜいが、守って貰うように、お祈りするしかないかな?

 

2016年5月13日 (金)

竹細工・藁細工の復古を企むことにしてみた!:

竹細工・藁細工の復古を企むことにしてみた!:

先日、農民伝承、伝統工芸品の話を聞いていたところ、今日になって、幾つかの写真がメールで送られてきた。何でも、猫つぐら(ちぐら)が、面白そうである!もっとも、自分の家の飼い猫は、中に嫌がって入ってくれなかったそうである.どういう理由なのであろうか?興味深い話である。それでも、今時、こんなモノを創っている人がいることに、改めて、驚いてしまう。それでも、キャット・ハウス等と云うよりも、この名称自身が、まるで、危険危惧種・絶滅寸前の化石寸前でいて、おおいに、宜しいではないか?農民の伝統工芸の復古を、ネット販売で、企んでみることにするか?こちらは、商品企画開発で、素材も含めて、販売マーケティングを担当して、後は、お年寄りに、毎日、少しづつでも良いから、或いは、予約販売でもよいから、少量から、作って貰うことにしたい。フランス・バケットタイプのパンを運ぶ小粋な藁バスケットとか、昔、子供の頃にイヤと云うほどあった、お弁当入れとか、何せ、若い人の感性で、商品開発をおこない、地元のお年寄りに、製作を1個から、まさに、手作りで、製作して貰って、製作過程をYouTubeででも、アップしてみようか?藁細工だけでなくて、竹細工も宜しいではないか?!先日、爪楊枝の作品を見せてもらったが、お母さんには、爪楊枝などと命名するのではなくて、フルーツ・ピックやスィーツ・ピックとか、名称を小粋な感じに、変更して販売すれば、新しい切り口で、面白いのではないかと、これも又、企みが日々、募ってきた。それにしても、色々なアイディアが、沸々と沸いてくるものである。又しても、今日、用事が、出来てしまった。間もなく、ネット販売を開始しますから、お楽しみにしていて下さい。これと並行して、今度は、庭園作りを企むことにするか?感性に満ちた若い庭園デザイナーを発掘したいところである。

 

2016年5月11日 (水)

100円い草草履は、優れものである:

100円い草草履は、優れものである:

まぁ、謂わば、衝動買いに近いものであるかな!。脊柱管狭窄症であり、且つ、脚の裏が、謂わば、象さんの足裏のような感覚であるから、スリッパーが、おおいに、苦手である。しっかり、履ければ、宜しいのであるが、これが、むしろ、中途半端な段差を助長してしまい、バランス問題発生である。い草で、出来た恐らく、外国人観光客向けの100円ショップの草履は、27cmというLLサイズは、騙されたと思って、衝動買いした割には、なかなか、優れものである。まずは、草履の底が、フラットなのが実に宜しい、しかも、裏底がゴムだから、滑りにくい、そして、何よりも、夏には、蒸れなくて宜しい。安いから、こいつは、外人への土産物にもなるかも知れない。おおいに、期待できるかも知れない。何せ、100円だから、、、、。布製の草履も、室内履きには、宜しいかも知れない。何でも、伝統工芸で、田舎でも、作られているものであるが、色々と、試してみることにするか?こうなると、靴下も、変えなければならないのかも知れない。いずれ、お祖母さんにでも、布製でも、作り方を教えて貰うことにしてみようか?何も、爆買いの品を揃える必要は無かろう。伝統工芸でも、充分であろう。

 

2016年5月 1日 (日)

地元のコンテンツに考える:

地元のコンテンツに考える:

何でも150年あまり前に建てられた農家の自宅で、女房殿と一緒に、夕食に招かれたので、先日の函館土産を携えて、お食事を呼ばれてきた。久しぶりの運転手付きだから、その日は、日本酒を一杯だけ、戴くことにした。成る程、冷や酒を頼んだから、お猪口かと思いきや、大きなコップに、つがれて、出されたが、何かの拍子に、お猪口と徳利の話になり、お母さんが、そんなものは、腐るほど、漆器と共に、裏の土蔵に、埃を被っていると云うではないか?そこで、台所の引き出しから、徐ろに、三つばかりを見せてくれた。なかなか、時代物風である。裏返して、よくよく、見れば、九谷焼と記されている。どうやら、江戸時代の代物でありそうである。話が、それで、盛り上がり、漆器のお膳の話になると、今度は、お祝い用の大きな膳や漆器、お皿のセット共に、古い大きな酒徳利までもが、運ばれてきた。いやはや、あるところには、眠っているものである。全く、明治期の美術品の価値を知らなかった日本人の如きである。何でも、好きな人は、遠慮なく、無断で、ポケットに、お猪口などは、持ち帰ってしまうような不届きな者が多いそうである。そんなこんなで、いつの間にやら、セットが、欠けてしまい、端数になってしまったそうである。全く、勿体ない話である!それにしても、観光のコンテンツというやつは、何処にでも、ひっそりと、眠っているものであることが、実感される。問題は、その価値を知り、どのように、活用するために、付加価値をつけるかと云うことなのであろう。考えてみれば、精進料理なども、所詮、安い野菜なのに、ストーリーを作り、作り方を説明し、食文化の歴史を、食器や漆器と共に、宣ってしまえば、『日本人は、舌で味わう前に、眼で、食べるのである!』などと、説明すれば、もうそれは、立派な文化的な付加価値が、つくことになるのである。誠に、勿体ない話である。これは、溜まらなく、面白くなりそうである。

 

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