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2016年10月

2016年10月25日 (火)

体験の先に見えるものとは?:

体験の先に見えるものとは?:

国境を超えた爆買いが、ものの見事に、現地でのネット通販に変貌を遂げてしまった後から、今度は、モノではなくて、『こと買い』や、『体験』であると、しかも、それらは、収穫体験や、住民が暮らしているさまをのぞき見的に、取り敢えず、身近に、農業での収穫・栽培・草刈りでも、何でも良いから、料理までもが、幅広く、体験の対象となるものである。実は、そうしたことに、『価値』が、潜んでいることに、キッザリアではないが、職業体験も含めて、広い意味で、潜在的な大きな価値があることに、なかなか、気が付かないものである。それでは、一体、全体、こうした体験の先に見えるもの、地平は、どんなものなのであろうか?成る程、人間というものは、自ら、体験をしてみないと、今日のVRでは無いが、バーチャルなリアリティーは、体験できても、出来るものと出来ないものとがある。戦争などもその一つかも知れないが、もっと、身近なもので、『疑似体験』とでも云おうか、人間は、その体験を通じて、人と人が、互いに、考え方を共有したり、異なる思考形式を確認出来たりするものであろうか?さすれば、そうした体験をすることで、それが、どんなに、小さなものであれ、兎にも角にも、触ってみたり、食べてみたりすることで、或いは、生活を一緒にすることで、何らかの、劇的な化学的な反応が、その先に、生じてくるものなのかも知れない。謂わば、抽象論を、頭の中で、徹底的にイメージするのではなくて、自らの手で、自分の手で、肌で、感じることが、そもそも、必要なのかも知れない。そうすることで、誤解や、偏見や、中傷といった類のものが、見事に、氷解してしまうのかも知れない。もうこうなると、謂わば、ソフト・パワーではないが、グラス・ルーツ的な、草の根の個々人同士による外交活動にも通じることになるのかも知れない。その意味で、観光などと云うものは、観るだけでなくて、来てみて、触れて、体験して貰うことだけでも、大変な価値が、じつは、そこには、横たわっているのかも知れない。そう考えると、一緒に、汗を流して、同じメシを食うと云う事でも、実は、もの凄い価値が、潜在的に、有しているのかも知れない。更には、一緒に、体験を共有し、労働の後に、風呂に入って、互いの汗を流し合ったり、同じ釜のメシを食う事も、ヒョッとして、『兄弟』と呼び合える関係にまで、発展させるきっかけと礎を有する程の何ものなのかも知れない。そう考えると、異なる文化とか、異なる環境の下で、暮らしている人達、異教徒(?)とも、一夜にして、見事に、兄弟たり得るチャンスが、その体験の先には、あるのかも知れない。音楽とか、芸術とか、何でも良いから、或いは、普通の和食の料理を通じてでも、何でも良いから、一緒に、同時に、時間と空間を体験を通じて、共有することの先には、どうやら、こういう『異文化理解』へと、更には、排外主義の予防にも、なりうる可能性を、実は、秘めているのかも知れない。

 

2016年10月19日 (水)

『コスプレ』を愉しむ:

『コスプレ』を愉しむ:

と言っても、流石に、この歳になって、ライフ・スタイルを突然、変えてまでも、ゲームのキャラクターになりきって、自らが、手作り衣装を着用して、コスチューム・プレーを愉しむのではない。たまたま、小諸の青雲館 に宿泊していた若い女性の四人組のお客さんが、所謂、『コスプレ』を150年の旧い書院の間で、撮影をするのを、観る機会を得ただけの話である。それにしても、メディアなどで、海外でも、お宅と称するアニメ・コスプレのことは、知識としては、知っていても、その人達と直接接して、会話をすることは、ほとんどなかったのが、実態であろう。それにしても、身勝手な憶測とか、偏見とか云うものは、無意味で、実際に、間近に接して、話を伺ってみると、なかなか、興味深いものである。彼らの情報発信は、今や、ツイッターが主体らしく、逆に、コスプレの愛好者達が、ツイッターを支えているそうである。『刀剣乱舞』というゲーム・チャラクターであるそうで、そもそも、こちらは、ゲーム自体をやったこともなければ、題材を云われても、知るよしもない。早速、パソコンで、検索して、予備調査と知識を得ることにした。話によると、小諸市では、懐古園での屋外撮影を許可しているそうで、当日も、3時間を掛けて、懐古園で、撮影したそうである。何でも、撮影場所によっては、施設の事前許可とかが必要だそうで、その手続きも、結構、大変な予備作業が必要だそうである。又、刀とか、槍とか、衣装・小道具、撮影のための反射板とか、結構、大掛かりな荷物を、移動・搬送しなければならないそうである。それにしても、想像以上に、この撮影というものは、面白いモノである。コスチューム、小道具、撮影の背景場所の選定、屋内・屋外、陽の差し方、光源の設定、歴史の勉強とか、只、単に、『オタク』というカタカナ言葉で、片付けられない『何ものか』がありそうである。これは、一体、何なのであろうか?その瞬間、瞬間のキャラクターによる、決め台詞ではないが、きめポーズをすることにより、その人物になりきるのであろうか?芝居では、非日常性の役柄に、なりきるのであるが、これは、『言葉と行動』によるもので、これが、演技というものに、昇華されるというのであれば、コスプレとは、ある種の衣装・小道具による、非日常性への空間移動とでも云うべきものなのであろうか?言葉を発することもなく、静かに、その情景の中に、まるで、タイムスリップでもするかの如きものなのであろうか?その時、人間は、その演者は、どんな気持ちになるのであろうか?なりすましなのか?バーチャルな非現実的な非日常の時間と空間に、身を置くのであろうか?その時の気持ちとは?もはや、こうなると、観る側から、コスプレを演じる側へと、立場を移さないと、判らないのであろうか?撮影された何枚かの写真を眺めていると、写真撮影というものも、同時に、考えさせられてしまう。これは、一瞬の瞬間的な『記憶』なのか、それとも、非日常的な一寸シュールな『心の軌跡』なのか、そう考えると、旅をすることで、そういう場所探し機会と場所を提供するサービスがあっても宜しいのではないかとも、思われる。次は、四季折々、その時に応じて、屋外でも撮影出来る場所を、紹介してあげたいとも、自然と感じてしまう。早速、ツイッターに、投稿してみた。青雲館 、ツイッター@SeiunkanKomoro にて、写真はご覧下さい。

 

 

2016年10月17日 (月)

高橋まゆみ人形館にゆく;

高橋まゆみ人形館にゆく;

飯山は、これまで、いつも、素通りしていたが、たまたま、戸狩温泉スキー場の民宿に行く途中で、初めて、高橋まゆみ人形博物館に、立ち寄ってみることにした。勝手に、年寄りの人形ばかりだから、その作者も又、年寄りだろうとくらいに、タカをくくっていたら、存外、作者は、若い作者であったこととに、少々、自分の不明を恥じ入ると共に、拍子抜けしてしまった。それにしても、紙粘土で、様々な情感を、とりわけ、老夫婦の関係性や、老母と娘の関係性、或いは、お爺さんと男子の孫や、チンドン屋や、寅さんや、お瞽女の集団や、兎に角、今や、化石と化してしまっているような『関係性と情景』が、小さな粘土細工の人形の中に、見事に、表されている。その表情の、或いは、その仕草だけでなくて、その皺の一筋一筋までもが、見事なまでに、表現されていることに、驚かされる。これは、もう、言葉自体が、必要では無い、只単に、国を超えて、民族を超えて、この芸術的な作品を観るだけの価値は、おおいにありそうである。魚釣りを一緒に、愉しむ情景、看護で、たまたまうたた寝をしてしまった娘を気遣う老婆の手のぬくもり、もう恐らく、80歳をゆうに超えてしまった老夫婦の愛情溢れる情景と仕草など、よくも、こんな情景を、その瞬間、瞬間を、見事に、切り取って、作品に、凝縮・昇華させてしまう技術力は、全く、驚くべきものがある。情景とか、仕草とかというものは、成る程、その一瞬を切り取ってみると、写真撮影とも繋がるような共通点があるのかも知れない。なんだか、既に亡くなってしまった両親や祖父母のことを、遠い昔の記憶の片隅を、想い起こすようで、なかなか、興味深い作品の数々である。又、新幹線から、外れてしまった寺町の佇まいも、今回は、ゆっくり観ることが叶わなかったが、こちらも、面白そうである。真っ赤な郵便ポストが、時間を超えるかの如く、銀座の柳の二世の下で、佇立していた。映画、『阿弥陀堂便り』のロケ地巡りと併せて、飯山という所も、小布施とは又、一味違った趣があるように思われる。次は、いつも、やはり、素通りしている須坂の藏街をゆっくりと、散歩でもしてみたいところである。

 

 

2016年10月 9日 (日)

『天空の芸術祭2016』を観る:

『天空の芸術祭2016』を観る:

御牧ヶ原の台地は、何とも謂えないような北海道のような景観に似ていて、天気の良い日に、散歩などをしていると、その空の青さと流れゆく白い雲との調和が、大地の土の色とハーモニーを奏でて、とても気持ちがよいモノである。何せ、45年以上もの長い間、ビジネスの世界に埋没していたせいだろうか、すっかり、右脳は、化石化、機能不全寸前で、アートや音楽や、伝統芸能の観賞などでも、残念乍ら、なかなか、右脳再生が果たされないのが、実情である。北側フロムさんや、田島征三さん等による十日町の大地の芸術祭や、トリアンナーレなどで、或いは、瀬戸内芸術祭などを通じて、少しづつでも、芸術を通じた地域の活性化が、住民との交流を介して、前進して行ければ、それはそれで、結構な話である。東御市の、旧北御牧が原台地と八重原台地に跨がる、自然豊かな地域で、『天空の芸術祭2016』というアートフェスティバルが開催されているということを知ったので、出掛けてみることにした。芸大のアーティスト達が、作品を屋外や、溜め池にも、地下室にも、室内にも、展示されていて、とても、興味深いものである。アート作品の鑑賞というものは、なかなか、制作者の芸術的な思いを理解するのが、難しいものの、それ自体を、あれこれ、こちら側が、勝手に想像しながら、鑑賞する事でも、何か、こちら側にも、小さな何らかの心的な変化が生じるであろうことは、どうやら、間違いないであろう。地元の住民も、訳の分からぬオブジェが、眼の前に、忽然と姿を現すことだけでも、何か、インパクトがあっても宜しいし、又、それが、風景を、ソーラー・パネルで自然景観を破壊したり、一変させるような代物でない限り、芸術作品の野外展示というものも、何か、効果があることであろう。そう考えると、何はともあれ、作品の制作に関わりながら、お手伝いすることも良いだろうし、それらの展示を見て回ることも宜しいし、兎に角、自分の出来る範囲で、お手伝いし、積極的に、或いは、消極的にでも、裏方でも、参加・関わることが、大切であるのかも知れない。その意味で、この第一回の開催は、これから先の10年、20年先、どのように発展するかは、判らぬが、大変貴重な第一歩であることは、間違いないであろう。官による訳の分からぬ補助金目当てや、爆買いの伝統や文化・歴史などのコンセプトも理解しないようなインバウンドを頼みとしないような地道な地域住民とのコラボによるこうした運動の点から、点へ、そして、線へ、更には、面へと、地域同士が結びついて行くような将来への展望を希望したいし、何らかの形で、無償奉仕と言う形で、関わって行きたいものである。作品を観ながら、そんなことを感じました。

 

https://www.facebook.com/museum.in.the.sky2016/

 

 

2016年10月 2日 (日)

働き方を考える:

働き方を考える:

又ぞろ、有識者会議で、働き方を考えるという。そもそも、こちらは、もう引退しているのであるから、関係なさそうであるが、これは、なかなか、面白く、刺激的である。いつの時代も、働き方なるものは、経営者側や、国の都合で、押しつけられるのが落ちであろう。働き方とは、大きく分けると、所詮、労働者か、経営者、独立自営業者か、フリーランスに分割され、結局、そのどちらかを究極的に、二者択一せざるを得ないのかも知れない。そう考えると、いつの時代も、余程、しっかりとして、自己責任で、初めから、起業でもしない限り、働き方というものなどは、自覚して、しっかりと、考えないものであろう。今回も、所詮は、人口減、経済に於ける労働生産者人口の増加や、ミス・マッチによる人手不足を、或いは、女性の活用も含めて、結局の所、さぶろく・三六協定も含めて、それ等の枠内での話であって、労働者側の権利をしっかりと、守ろうとするモノではなかろう。もっとも、労働組合も既に、崩壊している以上は、非正規労働者の同一労働。同一賃金の議論も、或いは、非正規労働者の労働条件や、賃金の上昇などは、所詮、二の次で有り、過労死問題や、残業・長時間労働問題など、そもそも、そんなものは、枠外に過ぎないものなのであろう。一体、全体、いつから、こんな議論が、水面下で、狡猾に、準備されてきているのであろうか?非正規雇用の導入も含めて、或いは、税制上の扶養控除の在り方など、様々な形での改革とか、規制緩和と称する形で、労働者の権利が侵害されてくるのであろうか?もうこうなってくると、やはり、時間が来れば、帰宅するだけの、責任もしっかりととらないような、豊洲やオリンピック招致など、地方公務員が一番、安定してして、リスクがない働き方などと思われても、困るし、人生、当たり障りのない生き方が、やはり、一番気楽でよいということになりはしないだろうか?人生の前半を大きな組織の中で、学ばせて貰い、後半生は、独立して、起業した自分の人生に於ける働き方は、一体、どんな思いだったのであろうかと、改めて、今思うと、考えさせられてしまう。若い人達は、一体、この問題提起に関して、どのように、考えているのであろうか?そして、自分の人生に於けるこれからの働き方を、どのように、考えているのであろうか?年寄りには、大変、興味深いところである。

 

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