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2016年7月

2016年7月28日 (木)

国益という身勝手な怪物:

国益という身勝手な怪物:

昔、現役だった頃に、カントリー・リスクというモノを論じる何かの機会があって、識者と称する人からの、見解を聞いていたときに、この人は、何も現場を知らない、机上の空論であるなと感じたことがあった。最近、アメリカの大統領予備選挙を眺めていると、共和党も、民主党も、どちらも、例えば、TPPの問題でも、今更、自らが提唱しておきながら、何やら、グローバリズムに、反対などであると、全く訳の分からぬ事を言い始めるし、移民の国なのに、移民を排斥したいとか、穏やかではないが、又、英国のEU離脱ではないが、散々、これまで、メリットを享受しておきながら、今度は、手の平を返したように、大英帝国の過去の栄光と繁栄を未だに忘れられないのか、帝国自身の孤立と解体を懸けて、離脱という選択肢を選んだ訳であるが、これもそれも、すべてが、一国主義と自国国益優先主義の賜物ではなかろうか?日本という国は、或いは、日本人というモノは、第二次大戦で打ち負かされたせいだろうか、兎に角、様々な国々への配慮と、異常なまでの気配りと、それとも、従属ともとれるようなおもねり(?)とで、イラク参戦追随ではないが、検証作業も、なおざりに、国益の主張は、お隣の自称大国の南シナ海での派遣に較べれば、全く、国益などは、どこかに置いてきたような有様である。それにしても、国益とは、一体、何を意味し、何を代表とするモノなのであろうか?そして、グローバリズムの超本人は、一体、どうしたもので、自らが種まきしたモノを逆に、批判してしまうのであろうか?それ程までに、自国優先主義と一国主義と孤立主義は、本当に、有効な手法なのであろうか?その点、日本は、常に、出る杭は、打たれるではないが、自国民族主義の為に、いつも、お隣の国々には、ブレーキを掛けられている立場で、国益などを主張するどころではないのが現状であろうか。幸いなことにそれが、よいことかどうかは、判らぬが、どうやら、世界情勢は、そんなこととは関係為しに、我が儘勝手な大きな渦が渦巻き始めているのであろうか?

 

2016年7月20日 (水)

穀物の遺伝子組み換えと果樹の交配新品種:

穀物の遺伝子組み換えと果樹の交配新品種:

先日、日本の農業は、その生産性において、オランダとは、いつの間にか、格段の差がついてしまったというような事を報道されていたが、何が原因で、そんなことになってしまったのであろうか?小麦の遺伝子組み換えとか、馬鈴薯の遺伝子組み換えには、随分と日本人は、敏感なのに、川魚とか、果樹の属性が同じ交配種に関しては、随分と、めざといモノがある。ある産直売り場で、サクランボとスモモを交配させた、一見、姫りんごとおぼしき直径二センチくらいの小粒の果物が、300グラムくらいのパックで、200円ほどで販売されていたので、早速、購入して、試食してみたところ、なかなか、面白い果物である。色々と調べてみると、既に、アメリカンチェリーのどす黒い色とスモモを掛け合わせた、バイオチェリーというものが、既に出回っているという。メスリーという名前のスモモも、あるらしい、スモモの味であると、どうやら、値段の方は、スモモに連動してしまうモノなのであろうか?それでも、産地でもないと、なかなか、すももやプルーンなどは、生食で、食べないものである。それでも、現地で、生食で、味わってみると実に面白いモノである。又、農家でも、毎年、こうした品種改良ではないが、皮を柔らかくして食べやすくしたり、色々と工夫しているようである。それでも、毎年、どんな新しい種類の果物が出てくるのかなどと期待するのは、楽しいものである。これから、いよいよ、もも、すもも、プルーン、デラウェア、ナガノ・パープル、シャイン・マスカット、メロン、すいか、マクワウリ、そして、野菜では、トウモロコシ、とか、枝豆とか、次から、次へと、旬のものが出始める。

 

 

2016年7月15日 (金)

サービスの対価と言う概念を考える:

サービスの対価と言う概念を考える:

昔、海外で、ファミレスで珈琲を飲んでいたら、典型的なおばちゃんのウェイトレスが、いきなり、自分が好みの甘さとミルクの絶妙な加減を維持していたのに、有無を言わさずに、コーヒーをたっぷりと濯いでしまい、誠にその味たるや、絶望の淵に追いおとされたおもいがしたことを懐かしく思いおこした。長野県でも、あるときに、女房殿とお茶を戴いていたところ、女房殿は、別に喉が乾いていたわけではないのであるが、茶碗を飲み干して、急いで、席を立とうとしたところ、すぐさま、お茶を注がれてしまい、席を立つチャンスを逸してしまい、これが、二三回続いたときには、流石に、もう結構です!と、鄭重に、言い放ったが、この光景をその相手の家人と、後で、問い糾したところ、当地では、お客様が、湯飲み茶碗を空っぽにすると、すかさず、お茶を注ぐという一種の文化的な風潮があることを、後日、聞き及んだ。成る程、面白いものである。こちらは、少しでも、お茶を残しては、申し訳ないから、すっかり、飲み干してしまうが、そうではなくて、そのまま、残しておいても、一向に差し支えはないらしい。サービスの対価とは、一体何なのであろうか?客の気持ちを忖度して、それに対して、自らの側で、いくらくらいになるのかを、計算することなのであろうか?それとも、それこそ、お裾分けではないが、贈る側は、贈られる側の気持ちを忖度することなく、無償の気持ちを、お裾分けという形で、自らの悦びをシェアーするという行為の形の表れなのであろうか?亡くなってしまった母は、生前、兎に角、人に対して、極端なときには、配達をする他人までも、暑いのにご苦労様でしたと、アイスクリームや冷たい飲み物を与えたりしていたことを不思議に想い起こす。長い歴史を有する古民家の農家の家のしきたりというものは、実に面白いモノである。菓子折一つにも、倍返しとは云わぬが、まるで、私の母が、生前良く言っていた、人様には、必ず、小さなものでも、必ず、お返しを欠かしてはいけない、と、まるで、貸しを作られるのを嫌がるが如く、借りは決して作らず、盆暮れには、せっせと、百貨店から、中元・歳暮のお返しは、それこそ、半世紀近くも、欠かさなかった。まるで、それを想い起こさせるような光景である。成る程、今日的なサービスの対価なる概念は、結局、何らかの資本主義社会での経済原則の中でのものであって、どうやら、人々の心に根ざした、生き方とか、家の誇りとか、その地域・文化的な固有な考え方というモノは、そういう類の範疇では、推し量れない何かがあるのかも知れないことが、日常生活の違いの中で、再認識されて実に面白い。きっと、亡き母が、生きていたら、話が間違いなく合うことであろう。これまでのビジネス中心の社会とは異なる人々との日常会話には、なかなか、老人体操教室も含めて、実に、面白い刺激的なモノである。都会では、そんなことに気が付きもしない。

 

 

2016年7月14日 (木)

76歳にしての重い選択:

76歳にしての重い選択:

最近では、ボランティアの活動に時間を費やされていて、とんと、政治的な問題に対して、ブログでコメントする機会がなくなってしまった。そんなこんなで、参議院選挙の結果にも、まぁ、そんなところかなと云う程度にしか、日本人の民意とは、こんなモノなのかという印象を持っていたところへ、究極の後出しジャンケンではないが、熟慮に、熟慮を重ねたのであろうか、鳥越俊太郎氏が、野党統一候補として、名乗りを上げたところ、一斉に、野党側は、もっけの幸いとばかりに、これを担ぎ上げてしまった。方や、官僚出身の手堅い候補者や、政界の渡り鳥という異名を有するやはり、ニュースキャスター出身の先出しジャンケンに掛けた、反自民票を狙った棒女性候補も、これでは、全くの形無しであろうか?結局ここまでの政党の側での人選をみていると、本当に、人材が不足しているのではなくて、既に、枯渇しているような有様を呈しているのは否定できない現実であろうか?今回の参議院選挙での若者の投票率を分析したコメントを読んでも、本当に、危機意識を持って、投票したければ、自ら、住民票を取り寄せてでも、投票所に行って、一票を投じるそのくらいの気概がなければ、こんな上からの『与えられた18歳選挙権』などは、糞食らえとばかりに、主張しても良さそうなモノであるが、、、、、、。考えてみれば、自分が18歳の時には、選挙や、ましてや、政治参加などの声は、ベトナム反戦運動の中で、教室で、勉強や受験勉強をしていて、果たして、良いのであろうかなどと、肌身に滲みて、感じたものであるが、如何せん、今や、老人層しか、そういた危機意識を感じるものが少なくなってしまっているのであろうか?誠に、76歳にしての決断、とりわけ、癌の手術を経て、健康を取り戻したとは云いながらも、失礼だが、年齢だけから、判断すれば、この老人の決断は、如何にも、重いし、老人というモノも、まだまだ、捨てたモノではないなと思う次第である。総評もなくなり、農協も力を失い、年金暮らしの年寄りも、まだ、これからは、死ぬまでに、一働きも、二働きも、若者に負けじとばかり、大きな流れに逆らって、逆流を巻き起こせるかも知れないかな。テレビ朝日やTBSから、或いは、ジャーナリストからの政界への転身を、今回、幾人かにみていると、やはり、マスコミに対する何らかの眼に見えない権力の風圧が、徐々に、空気を読めよ!という風潮が蔓延してきて、一億、総茹でガエル化しつつあるのかも知れない。実務家を無難に選択しようとする構図と今度は、対局の構図との闘いに、無機質的なものから、何か、どろどろした情念の闘いの場に、引きずり出されたような構図に移ってきたようである。果たして、不信と混乱の中で、都民の選択は、どちらを、選択することになるのであろうか?

2016年7月11日 (月)

ネット広告に学ぶ:

ネット広告に学ぶ:

昔、電通の友人が、昨今は、マスメディア広告も、あながち、ネット広告を侮れないね!などと云っていたことを懐かしく、想い起こすが、実際、試しに、実験的に、FB上で広告を発信してみると、様々な事柄が、判ってきて、なかなか、興味深いモノがある。何せ、自分の手で、一から、広告の企画を練って、画像やキャッチコピー、テキストまでを作成して、画面の構成までを、手掛けることで、おまけに、予算も、自分の懐具合と、対費用効果とを勘案して、策定すれば、どういう客層や、どの地域の距離までを対象にしたら良いかなども含めて、クリック一つで、選択できることは、誠に有難いものである。成る程、ナショナル広告などは、一零細個人企業などでは、必要ない以上、ごくごく、限られた地域に集中したリージョナル・マーケティングに集中すれば良いだけのことである。謂わば、基本的なまずは、初歩的なブランディング戦略の告知とプレゼンスという所だろうか?何とも、一日、300円から、自分の好きなだけの長さの期間も設定可能であるのは、誠に嬉しい。取り敢えず、近隣、70キロ程度でのユーザーに、しかも、様々な分野の興味を引くタイプの人達に、広告ページを配信して貰うことにしよう。期間は、取り敢えず、30日間程度で、これなら、予算も、総額1万円似内程度で、済むし、そのビッグ・データ分析から、色々なことが、分析・勉強することが出来るであろう。しかも、今後イベントの告知なども、短期的なスポット広告をワンコインで、行なったりと、バリエーションが、企画可能である。こうなると、季節毎、年間行事に併せた宣伝・広告や、誘客作戦も、こうしたデータ・ベースを基にして、メリハリのある効果的な対策も又、可能になり得ようか?兎に角、一軒一軒ごとのポスティングなどよりも、ずっと、効果があるかも知れない。累計リーチ数も、7日間で、1万弱に到達しているから、新聞媒体等よりも、個人零細企業向けには、対費用対効果が、抜群であるのかも知れない。しかも、いいねとか、リーチして貰った人達のねずみ算式の友人・知人達への拡散やシェアーも期待できるとなると、実に有難いことである。こうなると、もう夏前には、秋の紅葉シーズンに向けての販売促進と冬季でのパウダー・スノーの近隣穴場スキー場の宣伝とか、外国人顧客・日本人顧客に向けての体験プログラムも企画して置かなければなりませんね。I-o-Tとは、良く云ったものである。成る程、身近に感じられ始めるとなると使わない手はないですね。一段落ついたら、今度は、ネット販売の準備に移るとするかな。弱者にとっては、誠に有難いツールである。

2016年7月 6日 (水)

ダッカのテロに思う:

ダッカのテロに思う:

振り返ってみれば、まだ、ドイモイが、定着しつつある頃でも、現地の治安事情を考えて、常に、『人民の海』の中に、紛れ込むように、革靴は、履くことなく、腕時計も左腕に巻くことをせず、ワイシャツも、アイロン掛けなどはせずに、そのまま、皺がついたまま、裾は、だらしなく、ズボンの外に出したままで、ホーチミン・サンダルという出で立ちで、外出し、夜も、朝も、街頭に連なっている不衛生な屋台で、小さな四角いプラスティックの椅子に座って、食事をするという、一種の途上国に於ける『掟』のようなものがあったような気がする。それは、別に、高級外車に乗ることもなく、もっとも、こちらは、決して乗せる側ではなく、時たま、現地の有力者のお誘いの時に、ベンツか、ロールスロイスに、乗せて貰う側であったが、決して、その時にも、油断することなく、レストランでも、アメリカのマフィア並みに、一番奥の入り口が、見渡せる場所に、陣取って、食事をしたものである。もっとも、我々は、ボディー・ガードがついていたわけではないけれども、自然と、そんなことが身についてしまったモノである。又、上述したような小汚い身なりで、街を散歩していても、チラチラと立ち止まっては、スリがつけてこないかと、前後を

わざときょろきょろと見張ったりもしたモノである。それにつけても、治安が、多少改善してくると、人間は、やはり、自然と、日本食レストランや、外国人が好んで出掛ける評判の良いホテルやレストランに足繁く、通ってしまうモノである。何とも、テロに遭遇してしまわれた人々には、どんな言葉をかけたら良いのであろうか?とりわけ、途上国の都市計画などの専門家などは、成る程、こんな所へ出向いて仕事をしていたのかと、改めて、感慨に耽る始末である。又、加害者側も、裕福な家庭で、留学経験もあり、それが、又、過激な思想に、皮肉にも、触れてしまったとも謂われているが、幕末から明治維新期へかけての若き留学生達と較べると何とも、皮肉な対照的な結果である。もしも、この加害者と日本の明治維新期の留学生同士が、議論する場所があったならば、一体、どんなことを互いに主張しあったことであろうか?それにしても、民政とその国の経済的な自立とは、誠に、難しいことであることが、容易にわかり得よう。唯々、冥福を祈るしかないのであろうか?それとも、まだまだ、これからも、こうした悲劇が続くのであろうか?そして、自分には、何が出来るのであろうか?

 

2016年7月 1日 (金)

ゲストハウスの企画立案をする:

ゲストハウスの企画立案をする:

なかなか、マーケティングは、面白いモノである。とりわけ、顧客層の把握というモノは、データの整備から、コツコツとやって行かなくてはならない。しかしながら、何分初めの分野だから、おいそれとは簡単にゆかず、結局走りながら、少しづつ、軌道修正を加えて之ながら、軌道に乗せて行く以外に、王道はなさそうである。宿泊客への徹底的な質疑応答以外に、アンケートでも施さない限り、なかなか、分からないものである。それでも、隠れたコンテンツというモノは、何処にでも、転がっているモノである。或いは、これまで、頓挫してしまったプロジェクトが、何故、そうなってしまったかを分析することによって、新たに復活できる可能性があるのも、実に面白い。結局、子供向けの団体客のプロジェクトと、仕事での出張者パックとか、ゴルフ・コンペ・パックとか、幾つかの企画を立ち上げて、これをサイトにアップしてみると、様々な反応が早速出てくることになった。夏場どころではなくて、もはや、先々秋口から、年末・年始に掛けての予約のための企画と営業を行ってゆかなければならない。勿論、衣料品ではないが、秋・冬物を販売する頃には、次の春・夏物を事前に準備しておかなければならないのは、当然のことであろう。何せ、家族・零細経営だから、組織的にと言うわけには行かない。一人何役もこなさなければ出来ない代物である。しかしながら、それが又、面白いのである。何せ、こちらは、ボランティアだから、失敗しても構わないのであるが、そういうわけにはゆかない。必ず、過去の経験と実績からして、成功に導かれる筈である。今のところ、この確認に揺るぎはない。それでも、想定外のことは、、起こりうるモノである。客商売というモノは、生産販売とは、又、異なる事業である。もっとも、過剰な在庫とか、賞味期限とかに悩まされることがないのが、少々、気が楽であるが、それでも、将来が保証されているモノではない以上、同規格立案、魅力を発信するかが、ポイントである。コンテンツの見直し、発掘、魅力ある企画・立案、強みと弱みの分析、情報発信、収集、ネットワーク作り、他人の褌で、もっと宣伝して貰う仕組み創り、しかも、資金をかけないで、効率的に、最大効果が対費用であげられるようにと、、、、徹底的に、ない知恵を絞りに絞って、クリエイトする作業の連続である。年老いた頭には、うってつけの呆けへの刺激だろうか?そんな云い方をすると失礼であろうが、ストレスにならない程度で、しかし、まったりと、且つ、スピーディーに、露天風呂にでもつかりながら、今日は、久しぶりの快晴だから、洗濯干しと露天風呂で、作戦を練るとしようか、後は、都会の現役のコピー・ライターに、バトンタッチして、こちらの素材を提供して、ディーテイルを、作業・加工して貰うとするか、うるさい客であると想われているでしょうね、もっとも、あんたも、しっかり、この年寄りよりも、しっかり稼いでくれよと、暗に、こちらは、無償だからねと、暗黙のプレッシャーをかけることにもなっているかも知れないが、、、、、。ドッグラン&ガーデン看板製作も、現在進行中である。もう少しで、こちらも並行して、オープン予定である。

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