フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月

2016年6月29日 (水)

本当に、円高は、望ましくないのか?:

本当に、円高は、望ましくないのか?:

随分と、可笑しな議論と、何処か違和感を感じざるを得ない議論の展開ではなかろうか?私のように、若い頃に、365円時代から、308円に、そして、250円、120円、80円にまで、円高を経験したことのある世代には、何やら、円安神話が、何か、可笑しな議論に、聞こえてならない。一体全体、この国のエコノミストは、本当に自国の通貨が、強くなることに、そんなに、違和感があり、すべて、単純な輸出の為に、為替相場が、円安にぶれることのほうが、すべての景気を左右するとでも、本当にそんな議論を正しいことであると考えているのであろうか?昔は、円高による随分と庶民生活が、バラ色になるという神話(?)が、国内消費市場の需要の活性化が、国内消費市場のアメリカ並みの拡大が見込まれると喧伝されたものなのに、いつの間にやら、そんな国内市場の成熟化も、消費市場の拡大も、萎縮と緊縮と金融市場の危機とかで、結局、バラ色の未来が、成長も止まり、非正規雇用も拡がり、若者は、働く意欲を失い、未来に対する希望も消え失せて、年寄りは、年金問題に窮して、内向きに、縮み上がってしまい、貧困と格差と不平等と心の老いが、蔓延してきてしまう始末なのだろうか?本当にそれらが、円安の方向性で、単純に、解決するのであろうか?そんない、海外に進出してしている気牛が多数に登る中で、本当に、輸出利益に、貢献する円安だけが、唯一無二の打開策なのであろうか?誰一人として、この流れに異を唱えるエコノミストがいないのは、おかしな現象である。みんな、通貨の先物為替ヘッジで、リスクを回避しているはずであるし、単純に、為替政策だけで、乗り切れる代物ではなろうに、、、、、、と私などは、これまでの経験から、そのように感じられる。一円の為替レートの違いで、莫大な大損もすれば、大枚が舞い込むと云われているが、それでは、円高で、大儲けをする会社は、いないのであろうか?もう、ガソリン価格にも、一喜一憂しないことにするか?円高になったから、価格が下がるかと思えば、いや、備蓄もあるし、需要・供給のタイム・ギャップがあるし、産油国の思惑があるから、すぐにはならないし、そう考えていると、いつの間にやら、景気が悪くなったり、金融危機が発生したり、何でも、要するに、理由をつけては、価格が下がらない様な仕組みにでもなっているのであろうか?デフレも度が過ぎると、日銀ではないが、実質賃金上昇や手取りの拡大とは一切関係なく、何が何でも、消費者物価の目標管理を断行してゆくのであろうか?何が正しく、何が、何処から、どの時点から、ボタンを掛け違えたのかも、全く判らずに、万事、物事が、進行してゆくことになるのであろうか?全く、これまでの指標が、有効ではないのが、現状ではなかろうか?もう訳が分からないから、露天風呂にでも入って、ゆっくりと、考えてみることにするか?

 

2016年6月28日 (火)

表現の仕方を変えてみよう:

表現の仕方を変えてみよう:

そうすると、全く、別の地平が見えてくることになる。この一ヶ月間の変化は、全く、10年一日の長の感が無きにしもあらずと言ったところであろうか?車中で、たまたま、看板の値段を、私が、聞き違えたのか、どうかは、判らぬが、月額と年額を取り違えて、月額でも安いですねと云ったところ、実は、その金額が、年額だったことに端を発する。又、無償ボランティアで、気まぐれから、英文HPを作成して、更に、使用されていない部屋を、謂わば、しよう価値ゼロだった部屋を、インバウンドの外人旅行者向けに、エアビで、貸し出すということをじっさいにやってみたところ、これが、外人観光客だけでなくて、日本人にも、通用することが判ってきた。面白いことに、物事というモノは、若い時に、徹底的に、知恵をトヨタではないが、乾いたタオルを絞りに絞ってみると新しい何かが、生み出されてくるモノで、謂わば、資金のない人間にとっては、こうした省資源的な手法が、富を生み出す一つのきっかけになることを学ばせて貰ったが、まさか、それが、50年経った時点で、ボランティア活動の中にも、生かされようとは、想像だにしていなかったことは、全く、皮肉なことである。爪楊枝を、フルーツ・ピックに、民宿をゲスト・ハウスに、言い換えるだけで、何か、全く、新しい地平と風景がそこには、見えてくるから、面白いモノである。言葉の有するイメージというモノは、面白いモノで、第三者委員会等という言葉も、如何にも、客観的な部外者が独立的に、調査するのかと思えば、決して、そうではない。同じように、一つの物事も、言い方を換えることで、全く、別のモノに、転移してしまうから、実に面白い。この一ヶ月間での動きは、まさに、一つの物事の言い方の変換が、次々に、相乗効果を生み出して、新たな利用価値を生み出し、又、そこから、新たな商品価値が生まれ、それが、ますます、外部へと波及してゆき、地域の人々の心にも、又、その行動、発想にも、少なからぬ良い影響を、及ぼし始めて来たのかも知れない。耕作放棄地のドッグ・ランへの転用も、又、その景観保護トラスト運動も、外来寄生植物の伐採運動も、決して、それらの効果の一端だけではない、大きなインパクトを有しているのかも知れない。ぬかっていた田んぼの耕作放棄地も、バークや、チップや、木材のおがくずを入れることで、住民からも、自分の家で、余っていたチップを提供して貰ったり、草花を寄附して貰って、ガーデンを整備する作業に協力して貰ったりと、住民の知恵と労力を、無償提供しえ貰いながら、着実に、大資本を投じることもなく、ビックリする程のカネをかけなくても、どうやら、完成に、漕ぎつけられそうである。そうか、何事にも、知恵を絞って、民力を歯を食いしばって、絞り出すことで、周りの人間も変化し、発想にも、変化が生まれて、そして、何よりも、まずは、やってみようという意欲と行動パターンの変化が生ずることで、物事が、一歩一歩、前に、進んで行くのである。走りながらでもよいから、まずは、軌道修正を重ねながら、きめ細かく、コンテンツを練り上げて行けば、ヒョッとして、新しいビジネス・モデルが、生まれてくるのかもしれない。そう考えると、この一ヶ月間の余りにも濃密な経験は、実に、10年分の経験とノウハウを学んだような気がしてならない。それにしても、一地方での小さな事柄が、今や、I-o-Tの活用で、或いは、他人の褌を活用する事で、大きな資金を使うことなく、実に、効果的に、対費用効果を実現できる世の中になりつつあることを実感する昨今である。どちらかといえば、私は、文章中心で、即物的な動画や写真等には、余り、興味を示してこなかったが、インスタグラムなどには、甚だ、門外漢で、活用してこなかったが、流石に、ここに来て、若い外国人旅行者達から、その凄まじい反響と威力を、まざまざと見せつけられる羽目に陥ってしまった。SNSとの合体・連携も、もはや、単なる夢物語ではなくて、イイネの数も、馬鹿にしてはいられないほどである。未だ、顔を合わせたことのない人達が、数百人単位で、いると云う事は、情報が、今や、その人達に、自動的に、シェアーされて行くと云う事で、数百人でなくて、恐らく、近い将来、数千人、数万人、数十万人へと、拡充されて行けば、それだけでも、もの凄い化学的な反応が生じかねないことは、想像に難しいことではない。新しいコンテンツの切り口が、又、新たな表現に変換することで、更に、しんかされて行くような気がしてならない。ゴルフ・パックも、登山・ハイキングも、出張パックも、体験も、ネット販売も、ドッグ・ランも、ひとつひとつ、勉強してみるとしようか?どんな新しい、これまでとは違った風景が、そこに、見えてくるのか、今から、愉しみである。

 

2016年6月24日 (金)

梅雨の日長、メール整理をする:

梅雨の日長、メール整理をする:

日頃、メールの整理を、ホルダー毎にしているものの、それでも、結構、様々な情報が溜まってしまうモノである。新聞社、マスメディアの毎日のデジタルニュース、銀行や証券会社からの情報、ネットスーパーから、或いは、これまで利用したことのあるネット・通販会社各社からのニュース・レターとか、いやはや、ありとあらゆる情報が、向こう側から、ひっきりなしで、毎日、やってくる。情報というモノは、幅広く受けるのも必用であるものの、何も見なければ、見ないで、或いは、読まなくても、それなりに、済むモノでもあるのも事実であろうか?そう思えば、過ぎ去ってしまった過去の情報は、検索でもすれば宜しいのではないのか?それとも、即時性こそが、やはり、必要なのか?どちらが、正しいことなのであろうか?情報の価値判断とか、取捨選択とか云うものは、ビジネスを現役でやっているときには、結構、重要なことであり、昔は、毎日、関連記事をスクラップしたり、システム・手帳に縮小版で保存していたりと、こまめにしていたことを想い出す。身近のモノを、断・捨・離することが、人気であるが、その基準と、情報の断捨離とは、全く同じなのであろうか?明らかに、今を生きることと、これからを見据えた将来へ向けての、或いは、過去の情報との関係性は、取捨選択をする上で、どのように、異なるのであろうか?だからこそ、情報の保存・蓄積量は、捨て去られることなく、ますます、水ぶくれになってしまう。もう現役ではないから、それ程、気にはしないが、それでも、スリム化は、ダイエットと同じであろう。

 

2016年6月22日 (水)

偽アカシヤの巨木を切ろう:

偽アカシヤの巨木を切ろう:

ドッグラン&ガーデンの開場間近ともなり、そのコンセプトの中で、&ガーデンを、わざわざ、関した一つの理由は、景観と美観の保全も入っている。出来れば、景観トラスト運動のような形で、景観の保全運動を展開したいところである。オープン・ガーデンを地域で、散歩コースやサイクリング・ロードやトレール・コーストして、或いは、フット・パスのようなモノとして、道すがら、馬頭観音像や道祖神の歴史や地域文化財を発掘して、美味しい、コーヒーやハーブティー等を一寸一休みで、休憩できるようなカフェのような場所も、作れれば、さらには、周囲の葡萄畑や、将来は、底で収穫された原料の葡萄を使ったワインの一杯でも、地元の小麦を使った焼きたてクッキーなどと一緒に、良い眺めを愉しみながら、談笑でも出来れば、これはもう、都会から、2時間半で以て、車でやって来れるだけの価値があろうというモノである。その意味では、ドッグラン&ガーデンからの眺めも、当然、外来寄生植物であるニセアカシアの巨木が邪魔をしていては、全く勿体ない話である。地権者と話をした結果、耕作放棄地の草刈りも含めて、伐採に関する合意と承認を戴いたので、程なく、開場と共に、伐採を実施することにしよう。景観トラスト運動は、もはや、単なるお題目ではなくて、花回廊構想と共に、或いは、オープン・ガーデン巡り構想とも相待って、今年の夏には、実現に漕ぎつけたいものである。のんびりと、アカシアの花房を天ぷらにして、美味しく、食している場合ではない。耕作放棄地と景観は、棚田の保全も含めて、大きな課題である。

 

2016年6月21日 (火)

擬宝珠の花が咲き始めた:

擬宝珠の花が咲き始めた:

やっと、3年目の快挙である。待った甲斐があった。大きな株の立派な花をつけた擬宝珠が、たくさんの種をつけていたので、散歩の時に、一寸、花泥棒ならぬ、種泥棒で、戴いてきて、鉢に種付けをしたところ、そのうちの一つが、大きな葉を茂らして、昨年の冬には、その大きな葉が、見事に枯れ果てたにも関わらず、今年の春には、更に、大きな葉と茎を拡げ始めた。その勢いたるや、雨が降る度に、ますます、大きく成長し始めた。ひょっとすると、花が咲くかも知れないという期待がおおいに、膨らみ始めたところ、気が付くと、真ん中から、すっくと、突然、一本太い茎が天空を目指して、真っ直ぐに、直立し始めた。そして、どんどん、その太さを増すにつれて、ベランダの手摺りの高さを超す勢いになってきたとみるや、その中心に、花芽が硬く、蕾に、なってきた。更に、日々観察していると、いよいよ、小さな花を咲かせ始めた。これは、今までみてことのある擬宝珠の花とは、著しく、異なるようである。毎日、愉しみになってきた。梅雨の雨の中で、まるで、その恵みをひとり、享受しているかの如き成長である。暫くは、その花を愛でる心の余裕を愉しみたい。驚くほど、凄い花の存在感である。

 

 

2016年6月18日 (土)

農民資料館を作ってみよう:

農民資料館を作ってみよう:

玄関の前に、大きな凹を逆さにしたような門がある。その両側には、昔、漬け物用に使用された六畳ほどの部屋が一階にある。今では、物置小屋のように、様々なモノが詰まっている。たまたま、お父さんが、少し前に、農作業で使用されていた大きな鋤を、見つけてきて、見せてくれた。何でも、昔は、こんなモノで、人力や馬を使って、畑や田んぼを耕していたらしい、成る程、畑や田んぼになる以前には、元々、こんな山間部は、里山と、今日云われているものの、車も耕耘機やトラクターの無い時代には、人力で、唐松の林を、開墾して、今日、棚田などと云われているが、背に腹は替えられぬとばかりに、猫の額ほどの土地を必死になって、開墾して、新しい畑や田んぼにしたのであろうことは、容易に、想像がつく。そういう歴史とか、文化とか、暮らしに関する道具類は、今どうなってしまっているのであろうか?食育などと云う言葉も、農作業の体験なども、医食同源・食文化ばかりではなくて、暮らしの歴史や開拓の歴史なども、道具を通じて、理解して貰うことも、とりわけ、若い人や、子供達にも、おおいに必要なことかも知れない。例えば、この間、お父さんが、土蔵の中から、大きなノコギリを二つ持ってきたが、一つは、樹を切ることは、すぐに、判ったけれども、もう一つの歯の欠けたようなノコギリは、何でも、天然氷を切り出すモノであることを教えられた。そう言えば、子供の頃は、氷屋さんが、毎日、大きな氷を自宅で、切って、冷蔵庫に、運んでくれたモノであることを想いだした。そんな想い出も、60代以上の世代でないと、今日、もはや、実感されないのかも知れない。何も、郷土博物館の様な箱物の中で、展示されるのではなくて、身近な生活の中で、宿泊客に、無料で、見て貰えるような展示も、必要では無いかと感じ始める。地域の人達にも、応援して貰って、色々な古道具を集めて、保存展示してみたらどうだろうかと思い始めた。外国人観光客にも、英文で説明しみたら、どうだろうか?しかも、みるだけでなくて、実際、使用・体験してもらったら、先人の苦労を実感して、古い井戸を掘ってもらった人への敬愛の念も沸いてくるかも知れない。景観も、耕作放棄地も、長い期間に培われた歴史や努力も、一瞬にして、無に帰する可能性は否定しきれない。

2016年6月17日 (金)

竹細工の商品開発:

竹細工の商品開発:

実証実験をしてみたところ、実に様々なことが判ってきた。竹藪対策として、筍と蕗の収穫と竹細工の製作、とりわけ、原材料がタダ同然だから、手間賃だけで、それも、年寄りが製作するから、ほぼ、コストが掛からないか?さすれば、100円ショップ感覚で、使い捨ての方が、長持ちなんかしてくれない方が、有難いかな?そう考えれば、値段も安くして、使って貰うことに力点を置こうか?使い捨て感覚?そうしたマーケティングの観点から、商品開発をしてみよう。例えば、イタリアンやフレンチの高級料理に、和の食器として、前菜やオードブル、パスタの小皿としてとか、イメージが、様々に、拡がってきた。少し、勉強してみるとするかな!具体的に、試作作りに入り、写真撮りをして、高級レストランのシェフに、使い捨て感覚で、使って貰うことも一つの手ではなかろうか?或いは、個人レストランでの差別化とか、、、、竹藪対策として、或いは、耕作放棄地対策への協賛とでも、銘打って、野菜と共に、付録か、おまけとして、つけても宜しいではないか?ひょっとして、喜ばれるかも知れない。あるいは、ネット販売の景品でも構わない。兎に角、資源は無限で、使ってくれなければ駄目で、長持ちは、敵であると謂う珍しい商品かも知れない。まさに、『逆転の発想』である。又、やらなければならないことが、ひとつ、増えてしまった。最近、ゆっくり、ブログを書いている時間がなくなってきた。

 

2016年6月16日 (木)

鈴虫の音色を愉しむ:

鈴虫の音色を愉しむ:

今年の夏は、寒いせいだろうか、何故か、春蝉の鳴き声が、梅雨の晴れ間にも、それ程、聞こえてこない。それとも、まだ、早いのであろうか?子供の頃には、季節の音色というモノがあったような気がするが、何かの錯覚だろうか?夏になれば、何処からか、金魚売りの掛け声が、きんぎょー、金魚は如何?と聞こえて来たりしたが、もうそんな声も、既に何十年も前に、絶滅してしまった。子供の頃には、虫の声も、何かの歌で、あれ鈴虫は、松虫は、などと、鳴き声を、歌で覚えたモノであるが、もっとも、実際にそんな虫の鳴き声を聞くような事は、まず、なかったが、、、、、、それでも、何処からか、鈴虫の鳴き声を聞けば、成る程、夏から、秋へと季節が移ろっていくのかなくらいは、忙しくても、ふと、心の何処かで、感じるものである。ホームセンターに、買い物に来たら、懐かしい鈴虫の声が聞こえてきた。本当は、虫かごの中ではなくて、庭の草むらにでも放してあげて、その鳴き声を自然に、聞くのが理想であるが、そうも言ってはいられない。何せ、庭の草むらには、蜥蜴や蛇もいるから、すぐに食べられてしまうであろう。実際、何年か前に、蜥蜴が、キリギリスの幼虫を食べているのを写真に撮ったことがあるが、なかなか、自然環境は、Survival is the fittestで、難しいですね。鈴虫の鳴き声に、色々と、世の中の雑念を、忘れて、聴き入っています。もう少ししたら、風鈴でしょうか?五感を刺激するには、お香も良いかも知れません。年寄りには、五感を刺激するのが一番ですし、現代社会の現役の若い人には、五感の刺激と云うよりも、精神の癒やし、或いは、副交感神経の回復になるかも知れませんネ。梅雨の晴れ間なのに、春蝉は鳴いていませんが、鈴虫は、昼間でも、すれた音色を奏でています。

 

2016年6月15日 (水)

蛍光管の取り替え作業に考える:

蛍光管の取り替え作業に考える:

いつごろのことであったろうか、何かのニュースで、一人暮らしのお年寄りが、電球を交換できないので、電気屋さんか、便利屋さんに、依頼して新しいモノに、交換して貰うサービスを利用しているのをみたことがあったが、その時は、いやはや、大変な作業であると、同情していたモノである。突然、部屋の蛍光管が、パカパカと一瞬輝いた後に、プツンと切れてしまった。昔は、結構、頻繁に、電球が切れたモノであるから、電球の交換作業は、子供の仕事で、年寄りからは、お小遣いでも貰うこともあったモノである。しかしながら、こうして、段々と、余輩を重ねてくると、蛍光管が切れたときには、自分で、椅子の上に立って、カバーを開けてから、2本の蛍光管をつけなければならない。もっとも、最近の電球や蛍光管は、LEDではないが、なかなか、寿命が長いから、カバーの開け方なども、良く覚えていないし、そもそも、蛍光管を取り替えた記憶自体が、一体、いつのことやら、覚えていない。椅子の上に、立つ事自体が、バランスが悪くて、そんなに、長い間、カバーをうまく開けて、そのまま、たったまま、2本の蛍光管を上手に、取り付けられるであろうか?いやはや、結構、難しいモノである。しかも、4本のプラグを、所定の位置に接続して、みるが、うまく行かない。思ったよりも、手強い感じである。結局、10分程の悪戦苦闘の末に、無事、何とか、交換が完了したものの、改めて、こんな些細なことも、実は、大変な作業なのであることを、思い知らされた。次の蛍光管交換は、一体、いつになるのであろうか?その時、自分は、一体、幾つなのであろうか?

 

2016年6月11日 (土)

人が来てくれることと来ないこととの矛盾:

人が来てくれることと来ないこととの矛盾:

早速、人知れず、地域の住民しか知らない隠れ湧水の現地調査で、考え込んでしまった。即ち、これを整備することで、人がやってきて、騒々しくなることと、ゴミが増えたり、無軌道なひとたちや、マナーの悪さから、住環境が悪化することと、更には、お金が落ちないのに、これまでの静かな自然環境が破壊されてしまうと云う自分へのデメリット、一体、どのように、これらの矛盾を解決することが可能なのであろうか?この自己矛盾、地域活性化への理解に対する矛盾、過去に、テレビの取材で、山菜の特集をしたところ、一挙に、都会からの人間も含めて、車で、やってきては、大量に、山菜を根こそぎ、持って行かれたという苦い経験が、この地域には、あるそうである。道路も、かなり、高い所まで、ガードレールも含めて、整備されていて、坂道ではあるものの、電動アシスト自転車であれば、全く問題ない場所である。もっとも、住民にとっては、これまでも、開拓で切り拓いた土地に、住んでいる以上、静かな住環境であるわけで、そこに、狭い駐車場に、たくさんの車が、ポリタンクを持参して、水くみにでもやってくるようにでもなれば、そえは、それで、大問題になることは必至で、その意味で、カネも落ちない、自分にとって、何のメリットもない、湧水の売り込みは、一体、どんなメリットがあるのであろうか?間違いなく、そっぽを向くことになることは、必至であろう。素晴らしいコンテンツがあっても、難しい課題である。遊歩道にしても、日本トレール百選に、選ばれていても、肝心の分岐する地点では、別にルート案内の看板が設置されているわけではない。これでは、全く、画竜点睛を欠くどころか、登山者は、みちに迷ってしまうことは、必至である。考えてみれば、ハードはとくいであるものの、いつでも、ソフトが駄目だから、そのコンテンツ自体も、全く、無駄になり、無用の長物になりはててしmアウ輝線星がないわけでは無い。人に来て貰うこととお金が落ちて、地域に、回り始めること、そして、地域の静かな住環境を維持しながら、活性化されるとということを同時に、りょうりつさせることは、どうしたらよいのであろうか?更に、登ってゆくと、素晴らしい砂防ダムが、エメラルドグリーンの湖面に、山々の風景が映り込んでいて、これはもう、春の桜の開花や秋のモミジの紅葉の時期は、どんな風景になるのか、隠れ眺望百景にも値するものではなかろうか?既に、構想はできてているものの、この一点の矛盾を、どのように、解決できうるのであろうか?実に、唸ってしまった。じっくり、時間をかけて対応しなければならない。それでも、湧水の溜め池は、こんこんと、木々の中で、湧き出ている。誰が建てたかはわからない朽ち果てた東屋が、湧水の溜め池の傍らに、静かに、佇んでいた。ここで、お茶やコーヒーでも飲めたら、良さそうではあるが、、、、、、。限界集落寸前の問題をみる思いがする。

 

2016年6月 9日 (木)

景観と庭作りというコンテンツ価値

景観と庭作りというコンテンツ価値:

そもそも、ドッグランのきっかけは、五右衛門風呂から、見下ろす景観が、とても、綺麗な割りには、その隣接する下に拡がる耕作放棄地が、すすきの草茫々で、とても、遠望する景観が綺麗なのに対して、隣の敷地は、耕作放棄地だから、地権者の許可を貰わなければ、草すらも、合法的には、刈り込めないのが、実情であった。しかしながら、そんなこともいってはいられないほどの高さにまで、たっしていたので、結局やむなく、地権者と交渉して、活用方法を提案したところ、喜んで、管理と利用提案を受け容れてくれた。こう考えると、景観というもの自体が、大変な有意義なコンテンツになる訳で、そこから、ドッグランの計画が出てきて、早速、草刈りから、お父さんの仕事が出来たわけである。バーナーで、草の元を焼いてから、根を絶やしてから、バークを敷いたり、砂を敷いて、芝を張るという算段である。そうこうしていたら、近所の人達から、自分の庭に咲いている花を、あげるから、植えてくれという依頼が、舞い込んできた。成る程、庭作りではないが、都会では、なかなか、庭に花も植えないから、よく、海外で経験したオープン・ガーデンではないが、花壇に綺麗な花達を植栽して、ベンチと日傘を置いて、お年寄りのお茶飲み場にでも、なったら、宜しいかも知れない。こうなってくると、もはや、耕作放棄地も一挙に、眺望の良い価値を生み出すコンテンツ化することになるかも知れない。実に面白い展開になってくるかも知れない。

 

2016年6月 8日 (水)

いよいよ、ドッグラン工事着手だ!:

いよいよ、ドッグラン工事着手だ!:

結局、そもそもの構想から、1週間ほどで、具体的な図面と、くい打ちの感覚が、どうやら、グーグル・マップの空撮写真から、ソフトを利用すれば、何でも簡単に出来上がってしまうモノである。76歳になる元大工のお父さんの説明では、15万円もするようなレーザー光線を利用した測量ハイテク機器で、いとも、簡単に、正確な測量が出来てしまうそうである。お父さんの高いおもちゃなどと、侮る勿れである。それにしても、草刈りを二回もしてもらい、最後には、芝刈り機で、更に短く、そして、除草剤で、徹底的に、雑草を駆除して、いよいよ、砂をまいて、その後で、芝生とバークを敷き詰める算段である。周りには、杭を打ち込み、最初は、ネットを張る予定であったが、お父さんから、自分が何でも、入り口も含めて、柵を作るからと、当初の初期投資を抑える予定だったのに、ポケットマネーをはたいてくれることになったのには、驚きである。肉体的にも、精神的にも、やる気が出るばかりか、お金までも出して貰ったのでは、全く、申し訳ない話である。地面に敷き詰めるバークも、横浜の私の取引先の社長から、厚意で、運賃だけで済まさせて貰ったり、全く、初期投資が、少なくてすむことになってしまった。しかも、保健所との交渉では、特に、許認可は問題なく、ドッグランだけでなくて、ドッグホテルも、営業可能になりそうな状況である。最終的には、改めて、現地で、話し合うことにして、前向きである。もう来週末には、ひょっとして、完成してしまうかも知れない。こうなると、動物病院や、ネット上でのホンダが主宰するDogrun.comにでも早速、登録して、広報・宣伝する必要があるかも知れない。水廻りも、来週、使用していなかった樹脂製の金魚の池を持ち込んで、水廻りにし、更には、無駄に朽ち果てようとしているベランダの板を、電動ノコで、カットして、デッキを作ることも材料費がかからないで済みそうである。捨てないで良かった。又、新たに購入を予定していた、折りたたみのテーブルイスも、これで、捨てずに、活用出来る可能性が出てきた。いやはや、初期投資が、相当抑えられそうである。これが、かつての『耕作放棄地』で、草ぼうぼうで、景観が著しく、阻害されていたと考えると、全く、感慨深いモノである。更に、隣の下の耕作放棄地にもと、夢が広がり始めてきた。お父さんも、大工仕事に、張りが出てきたようである。このプロジェクトが、今後、新たな地域再生活動へ繋がることを願ってやみません。そんな時も時、たまたま、NY在住の動物介護活動を勉強している旅行者が、宿泊に来る予約が入ったが、タイミングが良すぎますね!

2016年6月 7日 (火)

エアビを、日本人客も利用し始めてきた:

エアビを、日本人客も利用し始めてきた:

驚いたことに、エアビでの予約活用に、いよいよ、日本人も参入し始めたようである。もともと、海外インバウンド向けに、英文で、設定していたにも関わらず、どうやら、外人観光客だけではなくて、海外在留日本人や、日本に住んでいる純粋の日本国籍の人達が、サイトを観て、予約を入れてくれることになってきたようである。考えてみれば、逆に、日本人が海外旅行に出掛ける時に、エアビを利用していれば、成る程、その又、逆も可也であることは、決して、不思議なことではなかろう。インスタグラムなどと云うものも、これまでは、どうしても、オジサンには、プリクラのようなデコレーション写真は、どうしても、文章中心の、言葉中心の世代だから、どうも、馴染まなかったけれども、マーケティングの観点からすれば、若い女性の感性に、共感して貰えれば、必然的に、男性の方は、自ずと、ついてくるものであろう。そう考えれば、まずは、女性のファンを拡大する方策が、緊急、且つ、不可欠な必須要件なのかも知れない。そう考えると、料理やサービスの質を落とすことなく、しかしながら、その量や、女性の好みを重視したメニューの開発も、考慮しなければならなくなることでしょう。現代の若い女性の感性というモノを、十分理解して、こちらも、対応しなければ、どうやら、いけないようである。随分、様々なことを教えて貰うことになってきたのは、驚きでもあり、良い刺激であることは、どうやら、間違いないようである。

 

2016年6月 6日 (月)

地元デザイナーとのコラボ:

地元デザイナーとのコラボ:

ブランディング戦略は、売り物のコンテンツとは別に、如何に立案するのかが、大変、重要なモノであることは、言を俟たない。とりわけ、地方の弱小、無名の一ブランドなどは、全く、大海の都会に住む消費者には、全く、どうでも良いことなのかも知れない。それでも、ただ、商品やコンテンツが良いだけでは、全く駄目で、やはり、ブランド・ロゴや、パッケージや、商品コンセプトや哲学や、顔の見える生産者と消費者との関係性の構築とか、単なる、値段が 安いとか、品質が良いとか、そういう問題だけではない。それでも、地方、或いは、地域固有の差別化商品の開発等というモノは、人数だけかけて、会議を繰り返したり、高額のコンサル料を支払って、同じような内容を、別の所で、異なる人間に、説明、説得しても、独自の差別化できる商品開発が出来るモノではない。既に。独自な詳細な戦略と戦術、並びに、サプライチェーン・マネージメントの体制も、個別商品毎に、構築できる体制は、整って来た。後は、共通する、ブランディング政策のロゴや、ステッカー、パッケージに合わせたイメージの具象化であり、ビジュアル化である。成る程、クラウド・ソーシングやクラウド・ワークで、格安で、ネットを利用して、広範囲な作品を募集することも、勿論、或いは、公開コンペで最優秀作品を選ぶことも一案であろう。しかしながら、地方の埋もれた書家やデザイナーや、様々な地方在住の芸術家に、チャンスを与え、作成して貰うことも、決して、無駄な骨折りでは無いような気がしてならない。電通の親しい友人にでも、頼めば、それで、カネを支払いすれば、一件落着ではないし、そんな昔の大企業の一員では、もはやないのが現実である。勿論、著作権とか、使用権料とか、法的な面や知的所有権の面も、しっかりと友人の専門家に頼んで、抑えながら、じっくりと、整えてゆけば、ひょっとすると、T-シャツや暖簾やエプロンも、外人向けに法被も浴衣も、うまく行けば、お土産で売れるかも知れないですね。慎重に、しかも、着実に、やって行こうということになりました。どんなロゴとパッケージが出来るか、おおいに、楽しみになってきた。とにかく、何でも、やってやろう!その先に、何かが見えてくるのであろうか?いよいよ、ドッグランも建設が、今週には、始まりますので、又、お楽しみに、、、、、、。

 

 

2016年6月 4日 (土)

Airbnbオーストラリアからの旅行客に、教えて貰う:

Airbnbオーストラリアからの旅行客に、教えて貰う:

それにしても、色々なことが、個別に、話をしてみると、分かり始めるモノである。海外旅行をするときには、交通費は、金持ちでも、貧乏人でも、同じである。もっとも、ファースト・クラスとエコノミーでは異なるけれども、従って、宿泊費を節約したし、食事代も、中には、たまには、美味しいモノを食べても、毎日の食事は少々、コンビニのお握りでも、カップ・ヌードルでも、節約してしまうそうでそうである。そう考えると、海外旅行客と云っても、様々な客層がいて、バックパッカーなどでは、そういう傾向がけんちょうであるものの、多少中年で、資金に余裕がある人は、逆に、レストランで食べられる食事を、リーズナブルに、ボリュームたっぷりに、家庭風の味付けで、日本食アンドを提供されると、驚くほど、感激するそうである。因みに、アルコール飲料も、日本は、大変安くて、しかも、すき焼きや刺身の盛り合わせ、鯉の甘煮、アユの塩焼き、野菜の天ぷら等などと、次から、次に、日本人でも贅沢なほど、豪華絢爛に出てくると、それこそ、多いに、感激してしまうモノである。又、食べるだけでなくて、大きな農家の台所で、一緒に、作るところを、見せることで、お手伝いして貰ったところ、多いに、興味を持たれた。蕎麦打ち体験も、おやき作りも、餅つきも、天ぷらも、手巻き寿司作りも、すき焼きの鍋をつつくのも、何でもかんでも、コンテンツ足りうることが、納得された。おまけに、作り手は、何せ、元軽井沢のホテルで修行したコック経験のあるホスト・ファミリーのオーナー・シェフだから、味とプレゼンテーションの技術は、一流の本物である。それを勘案すると、逆に、安すぎるのかも知れない。成る程、喜ぶことは、必至である。ーオーナーによれば、あまり、期待していないのに、実際に出されたモノは、想像以上に、優れものだったので、ボリュームも品質も味も含めて、期待以上のレベルだったと喜んで貰えた。しかも、オーストラリアでは、乗ったことのなかったスポーツ・タイプの電動アシスト自転車を半日活用して、標高900メートルの地域の坂道を登ったり降りたりして、駅まで、車で10分くらいの所を、走破してしまったそうである。日本酒も判らないから、酒屋で、アドバイスして、有名な濁り酒と純米原酒とを購入して貰い、それぞれ、小瓶で、夕食には、お猪口で、味の違いを愉しみ、終了したら、箸と箸置きを、セットで、記念のお土産に、持ち帰って貰った。温泉の名称に関して、布引伝説を説明したり、とにかく、文化と歴史と民話も含めて、地元のお年寄りと交流したり、或いは、朝食には、たまたま、若い二人の女性客が、英語を話したので、朝食も、英語で会話できたりと、見知らぬ旅先で知り合った日本人とも話が出来たと、大変喜んでいた。ベジタリアンだったから、存分に、野菜を豊富に、食べられ、満足して貰いました。最後の朝には、フルグラに果物とヨーグルトを載せて、こだわり卵のスクランブル・エッグと一緒に、食べて貰い、新幹線で、次の訪問地の京都へ、向かうことになっているそうです。合計、2週間での滞在でも、小諸では、温泉を毎日愉しみ、電動自転車で、体を動かしたり、新鮮な野菜や、日本食を、リーズナブルな価格で、愉しみ、東京、下北沢でのパンクロックのライブ・ハウス体験とは、全く異なった体験が出来て、凄いことであると、唸っていました。(エレキギターを手作りで製作、ネット販売しているそうで、だから、下北沢のパンク・ロックも詳しいはずである)農家だと思っていたら、どっこい、都会のそれよりは、ずっと、静かで、快適だったと、印象を、ノート・ブックに、書き込んで貰いました。先週の香港からの若い女性もそうでしたが、オーストラリアのこちらの中年のカップルも、又、日本文化や歴史、住民との意思の疎通を、図りたくて、わざわざ、選んでくれたと話してくれました。今回は、二度目の来日ですが、次回は、北海道に行きたいというので、いつでも、メールで、アドバイスするから、又、是非、来日して貰いたいと、再会を約束しました。

 

 

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »