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2016年1月

2016年1月31日 (日)

マイナス金利という劇薬:

マイナス金利という劇薬:

歴史上、まれに見る『デフレとの闘い』のなかで、様々なサプライズとか、異次元な緩和策とか、黒田日銀は、2%の物価上昇目標を、原油安や中国経済の減速の中で、先送りにしても、尚、今度は、欧州並に、マイナス金利政策を、5:4の僅差の多数決で、決したようである。マーケットとの狸と狐の騙し合いは、いつ果てるともなく、続くのであろうか?それにしても、市場というのは、常に、政策の一定程度の先取りを予測して、或いは、折り込み済みという形で、いつも、政策発表の前に、シミュレーションを初めから、想定するものである。それにしても、為替と株価と、更には、物価と、景気動向と、更には、GDPの伸び率とか、成長戦略も含めて、その質と量と金利の微妙なバランスを執りながら、政策を実行させるという舵取りは、大変難しいモノがあろう。果たして、本当に、先行き、うまく行くのであろうか?デフレも克服され、実質賃金も上がり、消費者心理も、財布の紐が緩み、銀行は、金利を取られるのであれば、積極的に、企業へ、とりわけ、設備投資などに足踏みしている大・中小企業への融資が、本当に、増えるのであろうか?石原時代に、東京都が、積極的な音頭をとって、進めてきた公的な性格を有した都銀公的融資構想も、その何年か後では、破綻したし、現状でも、こんなに、低金利でも、銀行の貸し出しは、充分機能しているとは思えない現状があるのに、予想通り、貸出し融資が、スムースに、行われるのであろうか?一体、ジャブジャブの金は、何処へと向かうのであろうか?劇薬なしには、デフレも克服できないことも、理解出来ないことも無いが、余りにも、劇薬が、長引きすぎると、今度は、どんな副作用が出てこないとは、限らない。それでも、恐る恐る、我々は、後をついて行かなければならないのであろうか?

 

2016年1月30日 (土)

任命責任と身体検査:

任命責任と身体検査:

一体、『身体検査』は、どのように行われているのであろうか?そして、『任命責任』などと言う言葉は、どれ程の正当性があるのであろうか?言葉自体は、誰しも、異論を唱えることはないであろうが、そんなことで、一々、責任を問われることになるとしたら、いくら、身体や命があっても、もたないであろし、堪ったモノではない。二十歳を過ぎたいい年をした子供のしでかした不祥事を詫びるのとも、違う。別に、『政治とカネ』の問題や、違法政治献金の問題を、今更ながら、議論しても仕方ないが、そんなことは、当たり前の話なのに、この世界では、どうやら、そうではないのが、そうは行かないのが、現実なようである。だからといって、現金を受け取ったり、政治献金記載を、蔑ろにすることが宜しいというのではない。むしろ、現実に、『正論を、正論として、主張すればするほど、現実と乖離してしまう』のが、残念乍ら、現実なのである。それにしても、『任命責任』とか、『監督責任』などと言い出したら、それ自身は、決して、間違いではないし、そう追求すべきであろうことは、当然であるとしても、一体全体、そういう『正論』を突き詰めて行けば行くほど、どこか、『責任』とは、何を意味するのか?では、一種の黙契のような、或いは、一種の規範のような法律にはならないが、しかしながら、一定の効力ある『取り締まり的な矜恃』のような、或いは、昔、あったような『精神的な誇り』とか、一体全体、資本主義のストイックな精神は、もはや、今日、電気も、加工食品も拒否するような原始的キリスト教徒や、純粋なイスラムの教えを守り抜いた少数の人々にしか、化石のように、世界精神遺産のようにしか、残っておらず、歴史上、消滅してしまい、何でもかんでも、責任逃れのために、『契約』とか、まるで、銀行の個人保証の裏書きや損害保険証券の裏面の条項みたいに、一々、規定しないと、責任を守れないのであろうか?何とも、世知辛い世の中に、ますます、そして、人々は、萎縮し、眼に見えない何とも言えない互いの猜疑心に包まれながら、互いに、『あいつは、何処かできっと、貰っているのであろうな!』などと、互いに想像しながら、世の中を生きていかなければならないのであろうか?政治とカネの問題として、マスメディアは、再び、論じあげるのかも知れないが、本当に、そんな対応で良いのであろうか?何か、眼に見えない『社会的な時代哲学』のようなものが、又ひとつ、崩れ去って行くように思えてならないのは、私一人の感慨であろうか?新しい高潔な哲学史観などは、もう、必要なくなってしまったのであろうか?土光のように、メザシを喰えとは、言わないが、やせ我慢でもよいから、そういう類の人物が、居なくなってしまったのか?それとも、きっと、裏では、うまいビフテキでも食っているのであろうと、所詮、揶揄されるだけなのであろうか?又、モラル・ハザードが、蔓延しかねない。どうしたら、食い止められられるのであろうか?18歳選挙権を有する若いこれからの諸君は、どう行動するのか?

 

2016年1月29日 (金)

チリ・ワイン、輸入首位へ:

チリ・ワイン、輸入首位へ:

もう随分、昔の事になってしまったが、40数余年前に、仕事で、チリに長期滞在していたときに、食事時に飲むワインがとても、美味しくて、今ならば、全く不思議なことはないのであるが、カリフォルニア・ワインや、南アフリカ・ワインなど、チリ産ワインも、手軽に、リーズナブルな値段で、美味しいワインが戴けるとあって、今や、人気沸騰である。とりわけ、二国間でのEPA貿易協定の締結以降は、その貿易障害の撤廃や関税低減により、市場競争力が高まり、成る程、輸入第一位になっても、不思議ではない。戦前から、戦中・戦後にかけて、ドイツやフランスからの移民をチリが、積極的に、受け容れたことで、ワイナリー経営が、やがて、軌道に乗り、今日、一大輸出産業に、のし上がったという歴史的な経緯があるのも、事実であろう。30年以上に亘って、首位を独占してきたフランス産ワインは、今後、如何にして、首位再奪還を目指して行くのであろうか?昔、ボルドー産ワインや、フレンチ・ブランディー、ポルトガル・ワインの輸入の仕事を担当していた私には、なかなか、複雑な思いである。それでも、こういう形で、消費市場が拡大して、これまで、実績のない国々から、徐々にではあっても、市場に浸透して行くと云う事は、望ましいことではなかろうか?初めはバルク向けの混合ワインとして、スタートしたにも拘わらず、こうして、首位になるまでには、関係者の努力が相当あったことと推察されよう。週末には、チリ産ワインを飲むことにするか?ムール貝を恐る恐る食べながら、美味しいワインを、バラパライソの海の見えるレストランで、食事を愉しんだ若い昔のことを懐かしく、想い出す。

2016年1月28日 (木)

角番大関が、果たして、横綱になれるのか?:

角番大関が、果たして、横綱になれるのか?:

優勝したご本人さまには、大変、失礼な言い方かも知れないが、それにしても、そんなに、科学的なトレーニングで、体幹を鍛え直したり、精神力を強化する策として、ルーティーンの琴バウアーを実施したり、新妻のスポーツ・フード・マイスターによる食事管理で、簡単に、角番を繰り返し、一度は、引退も決意した力士が、優勝できるのであろうか?しかも、次の場所には、成績次第で、綱取りとは、、、、、全く、相撲というものも、分からないもので、こうなると、稀勢の里などにも、早く、結婚させて、ケツをひっぱたかないと、これまでの大関の実績も無駄になるし、逸ノ城に至っては、何をやであろうか?

そんなに、優勝というものは、簡単に、あっけなく出来るものなのであろうか?それとも、単なるフロックに終わり、来場所には、又、豪栄道ではないが、毎場所、角番のリスクがつきまとうようになるのであろうか?私のような素人には、皆目、訳が分からない。玄人の相撲通や解説者でも、一体全体、誰が、琴奨菊の優勝を予想したのであろうか?名前を公表してもらいたいモノである。まるで、毎年、繰り返される野球の優勝チームを春先に、占うかのようである。ボクシングのようなスポーツなら、いざ知らず、相撲という競技の中で、これまで、そんな科学的なトレーニング法が、採用されていなかったことに、全く、驚いてしまうし、そんなスポーツ科学が、採用されていなかったことに、唯々、あっけにとられてしまう。それにしても、相変わらずの、10年ぶりの日本人力士の優勝だとか、全く、このスポーツの国際社会化の中で、事大主義的な馬鹿げたお祭り騒ぎに、呆れかえってしまう。稀勢の里にも、『あんたも、急いで横綱にならなくてよい』などと言っている内に、ひょっとして、力士の賞味期限が切れてしまうかも知れないそんな危機意識をもたないと、本当に、駄目になってしまうかも知れないし、逸ノ城も、豪栄道も、照乃富士も、しっかりしないと、力士生命が絶たれてしまうのではないだろうか?確かに、人生の中で、とりわけ、スポーツの世界ではそうなのかも知れないが、ある瞬間に、凄いエネルギーで、まるで、ターボ・エンジンに切り替えて、一気に、壁を乗り越えてしまうある瞬間が、あるのかも知れない。そして、そのチャンスを、その瞬間に、掴んだ者のみが、横綱になれるのかも知れない。怪我や年齢や、様々な要素を勘案したときに、もっとも、この奥さんという人も、よくよく、運が強い女房殿なのかも知れないが、、、、、、、。それはどうでも、宜しいか?!30代になっても、嘉風とか、元気な力士もいるとなると、若い将来を嘱望されている力士も、ウカウカしていられなくなるのではなかろうか?

 

2016年1月27日 (水)

メルアドの公開・非公開:

メルアドの公開・非公開:

自身の関わりのある団体で、若者と年寄りの間で、メルアド、出身地の公開・非公開で、様々な議論が飛び交うことになった。その発端は、ある会合で、参加者名簿を作成して公表するときになって、一部の若い人達から、自分のメルアドや出身地を、非公開にして貰いたいと云う希望が出てきたところからである。何でも、まぁ、確かに、名刺にメルアドを印刷して、名刺交換した段階から、既に、自分のメルアドを含めた個人情報などというものは、第三者に、公開されることは、必至であると言われて久しいものである。そういう意味からは、やや分からない訳でもないが、ややこしいのは、対等の立場、取りあえず、対等としても、若い人達から、頭を下げて、お願いするときに、目上の相手の名刺は貰いたいが、自分の名刺は、渡したくない等ということが、果たして、この社会の中で、成立するのであろうか?誠に、最近の個人情報管理という類は、ややこしい話である。それならば、結構ですよ!と、なりかねないことに、気が付かないのであろうか?一体全体、昔は、他人とお友達やお近づきになるときでも、人と人との仲介の労を誰かに、頼んだものでもあるし、又、信用のおける人物を介して、その後、昵懇になるということはあっても、いきなり、見ず知らずの氏素性の分からない相手同士が、意気投合するなどと言うことは、皆無であったことであろうか。LINEでお友達になるのとは、違うのである。だから、昔の人は、皆、『筆まめ』だったのかも知れない。今で言えば、メールまめなのかも知れない。どうも、視るところでは、同一価値観を有する横軸の水平間の関係する人達とは、すぐに、仲良しになる割には、年代を離れた人達の縦社会の関係とかとなると、どうやら、覚束ないかのようにも見受けられる。だからと言って、何でも、ハイハイの体育会系の部員が、優れていたり、社会摺れしているというモノでもない。一体、胸襟を開いて、話すなどというものは、今の時代には、望むべくもないことなのであろうか?それとも、あの人は、裏表がなくて、良い人であるなどと言う評価は、馬鹿で、全く、食えない男だな!などという意味になってしまうのであろうか?手土産を持参するという風習も、いつの間にやら、心配りとか、という類の潤滑油から、何やら、せせこましい、厄介な賄賂と同一視されかねない昨今の時代の流れである。まるで、風呂に入るのに、相手には、パンツを脱げて言いながら、自分は、しっかりとパンツをはいたまま、風呂に入ろうとする類の話なのかも知れない。いやはや、どのように落着くのか、若い人達の考え方が見ものである。ひとつだけ言えることは、年寄りの側では、そういう若い青二才とは、付き合いもしないし、相手にもしないということになってしまうのであろうか?何とも、悩ましい時代の中で生じた世代間(?)のギャップなのであろうか?それとも、今や、そういう時代趨勢なのであろうか?実に、興味深い成り行きである。まずは、しっかりと、彼らの主張を聞くことから始めようではないか?

 

2016年1月25日 (月)

Twitter アカウントなりすましの

Twitter アカウントなりすましの怪:

或る時、何気なしに、スマホの画面を眺めると、Twitterからの連絡で、『最終メルアドの確認を要します』という連絡が入っていた。何を、今更、確認であるかと思いつつ、良く、文章を読んでみると、アカウントの最終メルアドの確認を必要とするという文字の後ろに、@NR5BPHQ66MUGmuS という訳の分からぬ不明な文字の羅列を発見する。これは、可笑しいぞと云う事で、このアカウントを検索してみると、何と、自分のアカウントと同じ名前が、漢字で、表示されているが、登録されているイメージ写真は背景に何もない、卵形の空欄だけである。これは、誰かが、自分のアカウントをなりすましで、登録しようとしているのではないかと直感したから、すぐさま、これをなりすまし報告として、通報した。報告ケース番号#26996849 Impersonation - NR5BPHQ66MUGmuS 英語で、なりすましImpersonationと表現するらしいことが分かる。それでも、翌日、この通報を受けて、調査の結果と称するレポートでは、なりすましではなく、違反に当たらないと言うではないか?それならばと、再び、『もし、知らずに、これを承認していたら、どうなっているのか?そして、一体、このアカウントは、誰の誰兵衛で、何者ものなのか?』、どうやら、何もかが、GoogleG-mailを何処かからか、読み取って、失敬したらしいと云う事は、登録メルアドで、了解される。それにしても、Twitterというモノは、電話での連絡先もなく、只、決まり切った所定のフォーマットのクリックによるサポートへの報告だけである。これでは、ほとんど、素人は、なりすましに無防備であろう。一体、どんな人物が、どんな目的で、名前を登録しようとしたのかは、被害者、といっても、被害者には、該当しないそうである、これも、又、不可思議なことである。まるで、警察の口癖の『犯罪が起きていないから、取り締まれない!』ということに等しい調査回答である。何と云う事であろうか?更に笑ってしまったのは、Twitterからの連絡で、メルアドを登録している人物が、Twitter を始めたとか、連絡があるが、メールを辞めた年寄りが、何と、驚くべきことに、Twitterを始めたというではないか?そんな訳がないのに、、、、、知らぬ間に、きっと、なりすましで、アカウントが乗っ取られているのではないだろうか?何とも、ややこしい時代である。1週間経過しても、再度の調査以来には、調査報告は、来ていない。困った会社である。ブログに、Twitterを連携リンクしておこうとしよう!

 

 

2016年1月21日 (木)

SMAPという商品の賞味期限:

SMAPという商品の賞味期限:

別に、ファンでも、芸能通でも、或いは、文春の購読者でもない。それにしても、視聴率の低迷で、悩んでいるフジテレビには、起死回生のオイシイ番組だったのかも知れない。馬鹿な国会議員が、まるで、太鼓持ちのように、委員会の貴重な時間を使って、馬鹿げた質問を、一国の総理に向かって、行うとは、もう、一億白痴化で、世も末なのかも知れない。それにしても、興味深いのは、芸能界というところは、何でも、当たり前の民主化が、進んでいないらしくて、タレントという商品を、賞味期限が、徐々に、迫ってくると、過去の実績と貢献は、さておいて、無慈悲にも、次の有望な新しい商品のマーケティングと新しいビジネス・モデルで、売り出して行くという典型的な業界であって、それ以下はあっても、決して、それ以上ではないらしいと、ネットなどの説明ではなされているらしい。確かに、若い嵐などに較べると、歌も踊りも、そんなに、うまくないし、成る程、マネージャーの手腕が、これまでの地位に押し上げたのであろうかなどと、ド素人は、勘ぐってもしまう。いずれにせよ、組織というモノは、芸能プロダクションでも、創業者・お世継ぎと、実力者との権力争いという構図そのモノは、商品のマーケティング戦略・戦術や、賞味期限の判断に関して、そのコストとの対費用効果ならぬ無慈悲な経済原則が、貫徹しているのであろうか?まさか、地方のキャバレー巡りをさせるわけにもゆかず、まるで、球界で、年俸が桁外れで有りながら、一試合にも出場が出来ないようなベテラン選手にも、戦力外通告の危機などになぞらえられようか?それにしても、創業者とお世継ぎ、或いは、実力者社員という視点から、眺めると、様々な日本社会で透けて通る様相が、垣間見られて、他人事とは云え、面白いモノである。間違いなく、一見、謝罪という形で、収まりこそすれ、生身の人間そのものだから、将来、創業者一族が、年齢的な面で、いなくなれば、間違いなく、分裂が、加速されることは間違いないであろうことくらいは、ファンのみならず、そう考えているであろう。木村が裏切り者で、中井が、謝罪に不満を持っているとか、喧伝されれば、されるほど、賞味期限は、ますます、迫り来るのであろうことは、事実であろうが、自身で、今後、どのようにして、期限延長をしうるのであろうか?44様、或いは、55様、それぞれに、その生き方、身の処し方、行動が、見物である。フード・ロスのように、この業界は、或いは、不正偽装のように、二次加工して、不正処分販売でも、行えるのであろうか?ベッキーのLINEの件は、又、別に論じてみようとするかな。

 

2016年1月19日 (火)

雪の朝の出勤に思う:

雪の朝の出勤に思う:

雪国の人にしたら、何を寝ぼけたことを言っているのか?こちらは、そんなことは、毎日のことだと一蹴されてしまうかも知れない。そんな前提での思いである。それにしても、少々の雪でも、暖冬にせよ、雪は雪で、それも少しの積雪でも、地下鉄を除いては、何とも、誠に、頼りないモノである。今回は、3年前の大雪の教訓からか、鉄道各社は、間引き運転を徹底して、更には、駅構内への乗客の入場をも、制限・規制してしまったが故に、数多くの乗客が、凍った雪道の上で、長時間、長蛇の列で、待たされてしまったらしい。又、電車自体も、間引きだから、当然、若い頃に毎日経験した異常な混雑、すし詰め電車になってしまったらしい。どちらに転んでも、何とも、収まりのつかない事態である。それにしても、そんなにまでして、通勤しなければならないのであろうか?長蛇の列の4割以上は、今や、非正規雇用の労働者なのであろうか?だからこそ、必死になって、遅延証明を手にしてでも、何とか、会社に、辿り着き、そして、すがる思いで、管理職に、懇願して、その日の労働を果たして、又、帰宅時にも、死ぬような思いをして、その数時間後には、帰宅する羽目に陥るのであろうか?一体、日本人は、そんなにまでして、会社へ出勤し、働かなければ、社会が、或いは、世界が、一日でも廻らないのであろうか?それとも、決して、成立しない仕組みになっているのであろうか?一体、有給休暇などは、こんな時にでも、実行しないで、後生大事に、とっておくのであろうか?働くというモチベーションは、こんな時にも、こんな形でしか、発揮されないのであろうか?そう言えば、もう40数余年前の大雪の時、我々、新入社員は、独身寮で、雪合戦して遊んでいて、すっかり夢中になり、電車が再開して、運転開始になっているのを知らずに、結局、翌朝、全員、総務部長の前で、頭を垂れる羽目になったことを、愉しい(?)想い出として、いつも、蘇ってくる。確かに、スマホも、インターネットも、存在しない、まだ、緩い時代だったから、そんな労働意欲の薄っぺらい新入社員時代だったのかも知れないが、全く、おおらかな時代だったのかも知れない。だからといって、そんなことをしても、給料やボーナスが、減らされたとは記憶していないが、、、、、、。労働モチベーションや、生き方、働き方というのは、日本人は、雪の朝には、はっきり、その考え方が、出てくるものなのであろうか?何とも、複雑な思いがする。痛勤ご苦労様です!。

 

2016年1月18日 (月)

廃棄処分食品の不正流用:

廃棄処分食品の不正流用: もはや、こうなると、中国の食品偽装を誰しもが、笑えなくなるのではないだろうか?それにしても、全く、カネに目がくらんだとんでもない廃棄業者と中間業者である。間違いなく、商道徳上でも、業務上も、法的にも、厳しい制裁が、課されなければならない。もっとも、皮肉にも、この事件の裏で、安いバッタ的な食品は、或いは、曰く因縁がある商品は、どうやら、こうした背景が実はあるのかも知れないし、又、逆説的に言えば、食べてしまえば、結構、こういう言い方は、失礼かも知れないが、異常に安いバッタ商品でも販売・食べてしまえば、誠に、皮肉にも、問題が無いモノなのかも知れない。もっとも、食品事故に至らなかったから、笑っていられるが、、、、、。それでも、返金に応じるのであるから、これを販売していたスーパーの小売業というモノも、したたかなモノである。被害者は、買った消費者なのか?それとも、知らずに販売した小売業者も、被害者なのであろうか? 今後の捜査の結果をみなければ、何とも言えないが、恐らく、このフード・ロスに関わる『食品廃棄ビジネス』というものは、底なしの闇で、もう、何年、何十年となく、昔から、繰り返し、行われていたのではなかろうか?考えてみれば、昔には、そんな賞味期限も無かったことを想い起こす。そして、これらの商品は、カートンの詰め替えとか、何らかの二次加工で、或いは、何社もの流通業者や卸売業者を経由して、書類も含めて、トレーサビリティーが出来ないような形で、再販売不正行為が、実質的に、巧妙に、行われていたことは、容易に、想像がつこう。もっとも、皮肉なことに、深夜バスも、食品の廃棄再販売・不正流通も、同じような根を有する『命に対するモラルの崩壊』が、垣間見られる。もう、ここまで来ると、底なしの闇をみることになりかねない。『フード・ロス』と『勿体ない』と『賞味期限』と『異物混入』と、『食のモラル』と、『安全・安心』とは、、、、、、、何なのか?これが、食べるという健康に直接的に関わる問題だからこそ、問題になるのであろうが、世の中、着るものでも、眼には見えないところで、商品には、B反や、傷物、規格外などの所謂『訳あり商品』は、身の回りに溢れているわけで有り、どのような情報が、その中で、隠されているのであろうか?外食も、弁当も、店内加工品も、何もかもが、微妙なモラルだけで成立していると言う現実が、ますます、一部の不心得者のために、こういうことがあると、危うくなってしまい、正直に、頑張っている業者がそんをするというのでは、誠に、残念である。規制だけが、又、厳しくなる一方で、低コストとの闘いと、フード・ロスとの闘いは、ますます、熾烈を極めて、そのしわ寄せが、何処かへ、かたよってしまうことを危惧しないでもない。誰しもが、メーカーも、流通業者も、販売業者も、そして、消費者もが、全く、得をしないような可笑しなシステムが、コンプライアンスという化け物の中で、更に、進んでしまうのであろうか?

2016年1月17日 (日)

スキー深夜バス事故に考える:

スキー深夜バス事故に考える:

昔は、スキーと言っても、ほとんどが、列車で、ギュウギュウ詰めで、窓から、スキーを真っ先に突っ込んで、列車内に入った仲間に、手渡してから、乗り込んで、深夜列車で、朝到着するという具合であったが、今や、格安の深夜バスツアーが当たり前になっているらしい。そんな最中の若者が犠牲になってしまった大きな事故である。何でも、事故の要素は、そのほとんどが、(運転手起因)・(車両整備不良)・(道路状況不具合)・(天候状況)、更には、(運航バス会社の安全管理体制)(業界の競争環境)などが、ほとんどの原因究明のカテゴリーであるらしい。それからすれば、今回は、何が原因なのであろうか?ドライブレコーダーの解析は、如何なものであったのであろうか?それにしても、幾たびかの大事故を教訓にして、次々と法的にも、改善策が実施されてきているにも拘わらず、依然として、こうした大きな悲惨な事故がおきてしまい、しかも、若い人達の命が失われるとは、、、、全く、言葉を失う。ツアーの販売方法も、募集会社と旅行会社とバス会社との関係とは、一体、命の保証とか、担保という点で、どんな関係性が、保たれているのであろうか?それとも、そんな関係性は、利潤と命の天秤の中で、関係無いのであろうか?そんな関係を抉り出した解析は、マスメディアで、一体、どこが、報道しているのであろうか?所謂、規制の自由化とか、競争原理の促進策とかを錦の御旗にして、ダンピングとか、異業種からの参入とか、本当に、運転手の労働条件を本当に親身になって考えた上で、業界は、成立しているのであろうか?それにしても、この碓井峠の坂道は、もう、30年以上も、高速道路が開通する前から、否、今でも、利用しているから、その事故の場所も、よく、知っているからこそ、何とも、理解出来ない。我が家の場合には、長い高速道路のトンネル事故よりは、比較的空いている碓井峠を通るルートを活用・選択しているモノである。上りも下りも、反対車線のはみ出しには、注意深く運転しなければならない。しかも、下りでは、エンジンブレーキを活用して、ブレーキ・ペダルは、なるべく、冬場には、スリップを警戒して、エンジンブレーキ活用を中心にする運転である。それでも、こんな大きな事故が、何故、この場所で、起きてしまったのであろうか?原因究明と対策が待たれる。ドライブ・レコーダーは、装着されていたのであろうか?

 

2016年1月15日 (金)

『一国二制度と共通の価値観』と『戦略的互恵関係』:

『一国二制度と共通の価値観』と『戦略的互恵関係』:

いつも、香港や台湾、中国との関係を眺めながら、これらの言葉が、頭の中を駆け巡る。全く、雨傘革命も、一国二制度も、国禁書にも似た、書店への言論の自由と、中国本土での人権派弁護士への政治的な圧迫の中で、一体、『戦略的互恵的な関係』と言う内実は、何処に存在するのであろうか?台湾の総統選挙にしても、これまでの中国と一緒に成長し、一緒に、その恩恵を享受するという夢は、今日、はかなくも、敗れて、一定の距離を、政治的にも、経済的にも置きながら、関係を再検討するという選択が、なされるのであろうか?それとも、北朝鮮並みに、突然、台湾海峡を跨いで、緊張を一時的に高める戦略をとるのであろうか?それにしても、経済の減速と反腐敗キャンペーンと株価の下振れと、いずれにしても、どこもかしこも、頭の痛い問題ばかりであろう。それにしても、アジアの国では、共通する認識を共有する国が、一体、何カ国あるのであろうか、そして、歴史認識の問題に加えて、『戦略的な互恵的な関係』とは、一体全体、どんな状況を指して云えるのであろうか?『moving Goal』も、『不可逆的な解決』と言う言葉も、すべて、こうした関係性の中で、改めて、考えてみると、実に、様々な眼に見えないものが見えてくるものである。

 

 

2016年1月14日 (木)

成る程、ネット自滅か!?:

成る程、ネット自滅か!?:

今日、SNSも、様々に、拡大して、人によって、ケース・バイ・ケースで、何種類かを使い分けるという作業も確かに、必要となってくるのかも知れない。それでも、知らぬうちに、自分の写真やレストランの場所を写真に掲載したり、もっとも、それだけなら、まだしも、いつの間にか、本人の知らないうちに、リンク付けされて、自分の顔写真が、公開されていたりと、もっとも、別に、年寄りの写真だから、まだしも、ややこしい写真であったりしたら、つぎはぎで、本気で、或る人物を特定しようとすれば、決して、出来ないことではないし、むしろ、逆に、簡単なことではあろう。そういう意味からすれば、ネットの個人情報などと言うものは、既に、仮想空間の中に、どれ程、漂っているのであろうか?それとも、知らぬうちに、二次加工されて、或いは、三次加工されて、決して消し去ることの出来ないデータとして、残ってしまうのであろうか?考えてみれば、もう年寄り世代には、昔の『花火のウィルス拡散』という苦々しい想い出が、その記憶として、脳例の如く、蘇ってくる。まだ、その頃には、なりすましや、ウィルスで、機能が可笑しくなる程度の愉快犯であったから、笑って済まされるかも知れないが、それでも、そえは、被害者が、知らぬ間に、加害者に転化するという無自覚の犯罪性に変わりは無いのかも知れない。そうすると、ネット自滅などは、よくよく、子供の頃から、教育と学習をしっかりと、行って行かなければならないのかも知れない。おおいに、考えさせられてしまう。結局サイバー空間での自己防衛能力も、備えておかなければならないのかも知れない。

 

2016年1月12日 (火)

日の丸支援は、本当に大丈夫なのか?:

日の丸支援は、本当に大丈夫なのか?:

社会主義の経済運営が、中国やロシアではないが、国家主導によるある一定程度の戦略的な方向性とその具体的な政策の実行が、速やかに、力強い指導制の下で、行われることのメリットと強いリーダーシップと決められる政治を目指す何処かの国の首相は、破綻したシャープの再建にも、外国に、技術が逃げないように、その防止策として、日の丸を高く掲げて、Show the Flagで、産業再生機構に主力銀行経由で、融資の株式化で、対応しようとしているらしい。これまでも、歴史的にみて、日の丸コンピューターや日の丸半導体構想とか、どこかのこざかしい官僚が、長期国家経済戦略と称して、散々、これまでも大きな構想をぶち上げては、悉く、その後の国際的な経済の変動と進展の中で、壊滅的な打撃を被って、結局、韓国や台湾などの企業を利することに今日、なっていることは、例を挙げるに暇がないことも事実であろう。資本主義も、今日、何らかの形での国家主導型のコントロールが、必要であると言われ続けているものの、一体、それは、どんな意図の下でのコントロールなのであろうか?今や、レセフェールだけでは、立ちゆかないことは、誰の眼にも、明らかなようであるものの、一歩譲って、仮に、そうだとしても、本当に、それは、自主的な能動的な健全な再建へと繋がるのであろうか?或いは、もはや、今日、これしか、行き着くところがないということなのであろうか?中国の隠れた余剰設備や、古びた遊休施設も、昔みたいに、戦争で、一挙に破壊されて、戦後に、復興、改めて、新しい最新鋭の設備に、更新されて、生産性が飛躍的に、高まるというようなシナリオは、今日、もはや、通用しなくなりつつある。一体、主力銀行に、追加投資される膨大な資金援助は、本当に、有効に、再建作業に、使用されるのであろうか?この政府系の産業再生機構というモノは、一体、何ものなのであろうか?結局、人員削減などのリストラ策に、大なたが振るわれ、おまけに、最期には、どこか、外国企業に、買収されるような事は、回避できるという保証でもあるのであろうか?カネだけ出して、後は、知らないでは済まされないであろう。どうなってしまうのだろう?金を出さないのも地獄、出しても、地獄なのか?

 

2016年1月11日 (月)

若年性パーキンソン病:

若年性パーキンソン病:

もう、40年程も前になるが、アメリカ人の秘書が、もっと、良い給料を求めて、突然辞めてしまった後に、日本人であったが、現地に子供の頃から、在住する英語のうまい日本人秘書を雇ったことがある。とても、英語の発音がネイティブなみに上手で、私などは、足許にも及ばず、英語の手紙などのディクテーションにも、適当に、表現を直して貰ったりもしていた。或る日、仕事中に、突然、筆記の手を止めて、居眠りをし始めたので、大きな声で、注意したところ、何でも、パーキンソン病の薬の服用が原因で、薬が強すぎて、時々、意識を失うと説明があったので、呉々も、運転には、気をつけなさいと、言ったことを想い出すが、それが、私にとって、この病気の患者を身近に感じたことの初めての経験であった。何でも、100以上の業態の外食企業を、一部上場にまで、押し上げることに成功した若い創業者社長が、この若年性パーキンソン病であることを公表したそうである。それにしても、ホーキンス博士で有名になったこの病気は、脳がしっかりしているにも拘わらず、筋肉が収縮して、行動の自由がきかなくなり、最期には、呼吸器までもが、萎縮してしまい、死に至る恐ろしい難病の一種である。しかしながら、外食などと言う業態は、もともと、創業者にカリスマ性が備わっていないと、なかなか、マクドナルドの藤田田や、モスの桜田など同様、うまく、行かないものであろう、どんなに、部下やパートナーや、その継承者が、優秀であっても、それを補うに足るカリスマ性と創造性・指導性・求心力は、創業者には、なかなか、叶わないモノである。それを考慮すると、この先、そんな展開が、この会社には、将来待ち受けているのであろうか?病気と時間との闘いなのであろうか?誠に、残念なことである。若年性アルツハイマーも怖いが、この病気も、或日突然、前触れも無く、襲ってくることを忘れてはならない。

 

2016年1月10日 (日)

銃規制と刀狩り:

銃規制と刀狩り:

流石のオバマも、自国内での銃によって繰り返される惨劇には、涙ながらに、大統領令による銃の規制を訴えかけないといけないというところまで、追い込まれてしまったのであろうか?この問題では、ハロウィーンの仮装行列がもてはやされる時には、いつも、若い日本人留学生の『Freeze』のあの悲劇的な事件を想い起こさざるを得ない。一体、日本では、歴史的に見ても、秀吉による刀狩りではないが、明治維新での廃刀令ではないが、よくも、思い切って、こんな大胆な政策が、無事に、上から行われたものである。とりわけ、後者の場合には、連綿と保たれてきた『武士の魂』を、一挙に、丁髷と共に、日常生活の中から、見事なまでに、消し去ってしまうと言うことを選択した日本人は、当時、何を思っていたのであろうか?米国の銃保持を、建国の思想とか、国是とか主張するライフル協会のようなロビー団体は、この当時の日本人の意を決した選択を、どう考えるのであろうか?或いは、当時の日本人から観て、現状の米国の銃規制は、どんな風に、その目に映るのであろうか?刀と銃とは、基本的に、考えてみれば、大きな抑止力が、異なるモノがあるのかも知れない。刀というモノは、高い、長い歴史的な武士による、一種の謂わば、抑制的な『倫理観と規範・哲学』が、働いていたいのかも知れない。銃による自己防衛という理屈は、何やら、核兵器保有の理屈ではないが、一種の『恐怖』に裏打ちされたような、まるで、今日の喫緊の課題である、『テロに何を以て、対峙しうる理論を提起しうるか?』というものとも、共通するのかもしれない。誰か、少壮の社会学者でも、この辺りを具体的に、解明してくれないであろうか?ガンジーの哲学的な非暴力主義の主張の中で、子供の頃に、育った私としては、何やら、世界中で、これまで、行ってきた米国の戦争の理屈というものも、成る程、これでは、分からない訳ではないでもないし、一方、欧州でのテロの恐怖も、日本海の向こうの困った何処かの輩も、考えようによっては、分からぬことでも無いか?しかしながら、現実的には、『それに替わるべき哲学的なテーゼ』が、今日、確立されていないことは、事実であろう。

 

 

2016年1月 9日 (土)

サーキット・ブレーカーと5日連続続落:

サーキット・ブレーカーと5日連続続落:

上海の証券市場では、年初明けの4日のうち、既に、2日も、サーキット・ブレーカーの自動的な作動に伴って、取引が停止したとされている。もっとも、これに伴い、余りに、効き過ぎたせいなのか、株式市場の混乱を加速させる恐れがあるとかで、結局、当局の判断で、この装置を取りやめる結果になってしまったらしい。一方、東京でも、過去に前例を見ないような年初5日連続の続落で、新年をお祝いするのんびりとしたご祝儀相場どころか、何とも、アベノミックスに、期待していた投資家達が、中国情勢と中近東情勢の不安定性・原油価格の下落と市場先行き不透明性に嫌気がさしたせいなのかは、定かではないが、一挙に、アベノリスクと称されるような展開になりつつある。もっとも、一部の金持ち・資産家は、既に、年末には、しっかりと、売りに廻っていて、利ざやを確定していることは、間違いないであろうし、下がれば下がるほど、様子見で、安値買いの時期を狙っているのかも知れない。所詮、相場なるものは、そんなものである。知らぬは、仏様だけで、一般、素人投資家が、先行き不安ですね的なコメントが、せいぜいのところであろう。新常態などと、何処かの国の為政者が、現状追認を為す術もなく、漢字で表現しえても、庶民は、正直なモノで、一端、新常態どころか、新非常事態と認識し出せば、一斉に、売りに廻るのが、何処かの国の国民のやり方であろう。確かに、夜逃げも、国外逃亡も、公然と増えてしまうのも、頷けようか?それにしても、こんなに、テロの脅威だけでなくて、人々の心理的な不安や、将来への不透明性を暗示させるような出来事が、次々に、生じるものである。一体、そんなことは、既に、織り込み済みなどと、誰が言えるのであろうか?それにしても、物事の様々な事象に潜む両面性というものは、実に、面白いモノである。ついこの間まで、石油相場も、100ドル台で推移し、シェール・ガスなどともてはやされていたのに、今度は、30ドル台に下落し始めると、一転して、不採算、ハイ・リスク投資だとばかりに、影の側面ばかりが、論じられ始め、一体、物事の見方というモノは、どちらが、正しく、正しくないのか?謂わば、物事の真理とは、状況によって、どうにでも、変容しうるモノであって、永遠の真理では決して、ないと云うことなのであろう。石油が高くても、困るし、一転、値下がりしても、実は、決して、喜べないとなると、我々は、どうしたらよいのであろうか?まるで、これまで、バラ色に、もてはやされたアベノミクスも、一転、アベノリスクと称されるようになると、証券会社の営業のキャッチフレーズではないが、やはり、リスクを分散して、バランス良く、短期に騙されずに、しっかり、収益が上がるような長期保有をお薦めします、などという耳ざわりの良い甘言も、ホンマカイナ?と大坂商人ではないが、心の底で、懐疑心が、蠢き始める。それとも、グローバリズに、背を向けて、そんなことは、我関せずとして、超越し、泰然自若として、いられるのであろうか?人々は、一体、どちらなのであろうか?そして、自分は、、、、、、?

 

2016年1月 7日 (木)

法律よりも一歩先行く現実とは:

法律よりも一歩先行く現実とは:

昔、中国の人に言われたことがあるが、『日本人は、法律が施行されると、如何に遵守するかを考えるが、中国人は、如何にして、これをかいくぐるかを考えるものである』と言われて、これは、大変な時代になったモノであると感じ入ったことを想い出す。今や、日本でも、所有では無くて、共有とか、金を同じように支払っても、認識の違いで、或る行為は、合法とされ、或る行為は、法律違反であると判断されてしまう時代でもある。成る程、部屋を貸すことも、個人で、不動産業者を通さずに、ネット仲介で貸し出すと、Airbnbのような隙間の商売が、繁盛しはじめ、或いは、レンタカーならぬ、カーシェアーでもない、借りるのでもなくて、『共同で使用する』という、もうこうなると、何が、何であるのか、本質が、さっぱり分からなくなる。何処までが、貸し出したり、借りることで、何処から先が、そうでないのか、或いは、共同相互認識が、異なっているのか?同じように、金が移動し、サービスが、実施され、或る行為が、実行されても、まるで、サイバー空間で、仮想で行われているようなものである。現実とは、実際に、どんどんと、進化して行き、一体、何処まで、現実の実態と法解釈とが、適合するのであろうか?ネット仲介による新しい種類のサービスというのは、紛れもなく、現実の方が、法律よりも、どんどん進化して行き、勝手に、増殖して行き、既成事実化してしまい、それが、マーケット市場原理に則って、マジョリティーになってしまうのかも知れない。そして、それは、明らかに、新しい現実になって行くのであろう。そして、後追いで、法律が追いかけてくるのかも知れない。そして、私達は、一体、何処へ向かって行くのであろうか?

 

2016年1月 6日 (水)

つながる車だそうだ:

つながる車だそうだ:

と言っても、年末年始やお盆の帰省時での、あの悪夢のような混雑した高速道路での車による渋滞では決してない。インターネットを装備した現実的な実用車の提案だそうである。成る程、そう言われると、確かに、ナビの地図も、相変わらず、ディスクを新規に更新用に交換したり、本来であれば、ダウンロードで、一発済むところを、改めて、購入したり、とにかく、それだけで、何が、カスタマー・フレンドリーなのか、分からぬが、利便性は、二の次である。もっとも、この未来創造のファンドを活用したトヨタの試行錯誤は、結局、車離れとか、シェアー・ニーズだとか、勝手に、分かったような顔をしたどこかのマーケティング・トレンド分析評論家が、したり顔で解説するのに対して、真っ向から、ものつくりメーカーが、対峙する究極のコンセプトなのであろうか?グーグルなどネット関連会社による自動操縦技術を、はっきりと、見据えた、或いは、信号・交通・渋滞解消システムをも、既に、取り込んだ構想なのであろうか?考えてみれば、将来消え去るであろう職業のひとつに、タクシー運転手が、入っていたことを想い起こすが、それだって、まんざら、冗談や杞憂でなくて、実際、オリンピックまでには、現実味を帯びてくるのかも知れない。一定間隔の距離を保ちながら、トラックが走行したり、或いは、常時ネット接続で、情報を共有しながら、運転したりと、子供の頃に、手塚治の漫画で描かれた未来社会の一端が現実味を帯びてくるのかも知れない。ひとつの職業が消え失せても、人間というモノは、考えてみれば、新しいニーズを創出し、そして、その技術開発のために、新しい職業が又、送出されるということなのであろうか?まるで、おとぎ話の夢玉手箱のようであるが、どれ程の人達が、関われるのであろうか?どんな拡がりを、これから、展開し始めるのであろうか?若い人達の選択は、色々とあるものである。唯々、年寄りは、金を落とすことと、若い人への人材支援や『ヒトのつながり』しか、出来ず、直接的に関われないのが、おおいに残念である。

 

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